1976年8月24日、地震後初めての郵便局が開局しました。地震でかなり被害を受けた唐山製鋼所では、1カ月足らずで鉄鋼溶液が炉内から流れ出ました。
1976年10月、「唐山復旧プロジェクト」が作成されました。このプロジェクトは、既存の鉱山や工場、企業などのもとで、新たな唐山市を造ろうというものでした。
1979年から1985年までに、市内では毎年、宅地が広く竣工し、少ない年は133万平方メートル、多い年は205万平方メートルでした。
1986年、合わせて2090万平方メートルの建物が竣工し、そのうち、住宅が1218万平方メートルを占めました。復旧作業が終了し、経済の高度成長期に入りました。
1988年、市内では、一人あたりの住宅面積は7.6平方メートルになりました。市政府は10年間で、唐山市を造り直し、住民100万人の居住問題を解決しました。また、同じ年、国務院によって沿海対外開放地区に認定され、GNP・国民総生産が倍増しました。
1990年、国連の「人間居住環境・最優秀モデル賞」を受賞しました。この賞を受賞した中国初の都市となりました。
1994年、GNPが2回目の倍増を遂げました。
1995年、河北省では、9年制義務教育を実現させた初の都市となりました。同じ年、「全国衛生都市」を受賞しました。
1996年、「全国総合実力50都市」に入りました。京唐港は、全国の大港20港に登録されました。市民生活レベルが「小康」水準に達しました。
2001年、GNPが1000億ドル台を突破しました。「第10期5カ年計画」実施期間中、GNPの年間平均伸び率が12.7%でした。
2003年、「中国投資環境安全50区域」に登録されました。
2004年、都市部と農村部住民の可処分所得がそれぞれ8902元、4083元に達しました。
2005年、GNPが2027億1200万元で、一人当たりのGNPが2万8000元、財政収入が226億4600万元に達し、河北省で1位となり、都市部と農村部住民の可処分所得がそれぞれ10488元、4582元に達しました。
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