唐山は現代的な雰囲気を持つ都市です。ここには非常に便利な交通網やハイテク開発区などがあります。完備されたインフラ施設は多くの多国籍企業の誘致を招くとともに、市民たちに快適な都市環境を作り上げています。しかし、30年前の唐山は強烈な地震によって廃墟となりました。
1976年7月28日、北京からわずか150キロの所にある唐山で大地震が発生し、この百万人の人口がある都市は一瞬にして廃墟となりました。地震では24万人が死亡し、16万人が重傷を負いました。直接的な経済損失は100億元余りに達しました。唐山大地震の体験者で、今は退職教師である王桂勤女史は、次のように話しています。
「地震が起きた後、唐山には被害を受けずに立っている建物がほとんどなかった。地震の前に、私たちは二階建ての建物の二階に住んでいたが、地震の時、倒壊してしまった。やっと一つの穴から外に出た時には、小雨が降っていて、雨宿りするところが無かったので、たくさんのヒマワリの葉を繋げて傘の代わりにして、2歳になる子供と一緒に雨を凌いだ」
地震から30年経った今の唐山市は、市民の収入が急速に増加しました。2005年の都市住民1人あたりの可処分所得は、地震前の1975年より40倍近く増えました。現在では、コンピューターやトレーニング用品に継いで、住宅とマイカーが市民が買い求める人気商品となっています。このほど開催された第2回唐山国際モーターショーでは、五日間の間に合わせて410台の車が販売され、取引高は7100万元にも達しました。調査によれば、唐山市では5人に1人がマイカーを持っているということです。
30年の間に、唐山の人たちは災難の苦しみから抜け出ただけではなく、未来に向けた長期的な青写真も描くようになりました。中国沿海地区の開放された都市として、ここ数年、唐山市の外資利用の規模は絶えず拡大しています。今年上半期の外資利用の額は3億1000万ドルに達して、去年の同じ時期より30%以上も増え、河北省の中ではトップに立っています。唐山市商務局の投資関係の責任者柴宏生さんは、「地元にある資源の有利さを生かして工業を発展させ、外資を誘致することが、ここ数年唐山市の主な発展構想だ」と次のように述べました。
「唐山は重工業都市で、鉄鋼、建設資材、機械製造などが唐山市の伝統的な産業だ。その上に、合資や合弁、それに株式の譲渡などの方法を通じて、松下電器やトヨタ、アメリカのアンハイザー・ブッシュなど多くの多国籍企業の投資を誘致した」
柴宏生さんの話によりますと、今注目されているのは、唐山市の曹妃甸工業区の建設が始まっていることです。この工業開発区は唐山南部の渤海湾に位置しており、国際的なエネルギーや原材料を輸入する拠点となる港と、国内のエネルギーの備蓄と割り当てセンターが建設されるということです。
同時に、唐山市には7つの省クラスの経済技術開発区が完成し、多くの優遇政策によって国内や外国の企業の投資を誘致しています。日系企業の唐山日昇工具会社の吉川社長は、「唐山はなかなか便利な都市だ。しかも天津や北京からも近いし、こんなに多くの日本企業を引き付けるのは唐山の優位性によるものにちがいない。唐山は良好な投資の場所だ。われわれがここを選んだのは正しかったと思う」と語りました。
ここ数年、唐山市経済の成長は絶えず加速しています。2005年の経済総量は2027億元、財政収入は226億元に達し、いずれも2000年より倍増しました。唐山市政府の責任者は、「今後、唐山市は引き続き、対外開放のプロセスを推進し、経済を発展させると同時に、民衆の生活レベルを改善し、安定で調和のとれた近代的な都市を建設していく」と述べました。
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