7月24日夕方5時。中国・湖南省からバスで19時間の長旅を終え、司小艶・小梅姉妹は30年ぶりに故郷、唐山に帰ってきました。そして唐山大地震記念碑の前で、二人の姉と再会を果たしました。あの悲劇から30年。ようやく故郷の地で、四人姉妹が揃ったのです。
地震当時、父は唐山市高圧電力の磁器工場の職人、母は商業部門の職員をしていました。大地震は幼い四人姉妹から両親を奪いました。しかし、子どもたち四人は幸い、その難を逃れたのです。
地震のあと、湖南省冷水江市で働いていた叔父の王佑民さんが、唐山を必死に捜し歩いて、幸運にも四姉妹を見つけました。王佑民さんは自らの家庭が経済的に困難であったにも関わらず、三女の小艶と末っ子の小梅を引き取って帰りました。こうして上の姉二人は唐山で、下の姉妹は湖南省で、別々の道を歩むことになったのです。
湖南省に引き取られた小艶は高校卒業後、地元でアナウンサーとなり、小梅は看護学校を卒業後、冷水江人民病院の看護士となりました。
あれから30年。世の中は変わっても、姉妹の絆は変わることはありませんでした。
7月24日、唐山バスターミナルに到着した小艶は、バスが完全に止まるのを待ちきれず、唐山の地に降り立ちました。そして、すぐに迎えにきていた姉、小英を見つけました。長い時を経ても、姉の面影は全く忘れていなかったのです。三人はその足で、唐山大地震記念碑へ。約束の時間ぴったりに長女、小茹がその輪に加わり、"地震"孤児、四姉妹はついに再会を果たしました。
あの悲劇は幸せな四姉妹を引き裂きました。しかし、思い出の一杯詰まった故郷の地に集った姉妹は、まるで30年の空白などなかったかのように、『家族水入らず』の時を心ゆくまで楽しみました。
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