この日は午前中はマッサージ屋に行って、それから大きな公園に行ったり、市内電車に乗って、別の海辺の公園に行ったり、市内の古い家を見にいたりした。マッサージ屋に行ったのは娘が行きたいと言ったからである。娘に先導されてマッサージ屋に行くのも変なものであるが、行ったのは今回を含めて中国で二回しかない。日本では一度も行った事がない。で、マッサージ屋に娘さんに聞いてみたのだが、この種のマッサージ屋は殆どが日本人向けのようである。たった一回しか行ったことが無い北京のマッサージと比較するのもなんだけれど、何か北京と違うようである。
昼は久しぶりに日本料理屋に行って定食を食べた。ウエイトレスの和服は結構着キッチリと着付けが出来ていた。これは珍しい事で、普通、日本料理屋の和服はダラッとなっている。
大連市内をタクシーで走っていたら、西洋風の建物が沢山目に付いたので、大連の旅行の最後に、そこを見て回る事にした。そこは日本人街とは違う所であったが、どうも日本人が住んでいたような雰囲気があった。ある家の古い塀は人の背より低かった。また門のところに表札を剥がしたような跡があった。この事からやっぱりこの辺に住んでいたのは日本人ではないかなと思った。日本人以外の外国人も塀を低くするかもしれないが、縦に表札を張る習慣は西洋人にはないだろうし、中国人の場合は表札を出す事はない。ここの建物は普通の中国人が住んでいるせいか、きれいというわけにはいかなかったが、西洋建築の一戸建てというのは何となく雰囲気がある。
良く見ると塀が低いだけではなく、塀が全く無い家があった。これは北京あたりでは考えられない家の作り方で、北京では、家は高い塀で囲む、窓には鉄格子を付ける、家の入り口は一つだけにする、と言うのが基本のように思える。家が塀も無く剥き出しになっているのは、大連では普通の作り方なのか、西洋式だからそうなか分らないが、北京にこんな建物を作ったとすると、不安でしょうがないのではなかろうか。しかし北京の建物の様に、窓に鉄格子まで付けなければならないとすると、家の美しさが半減してしまう。もっともと北京あたりの家では、家の外を奇麗にしようという発想が、元々少ない様に思える。北京のお土産用に、胡同を描いた油絵を売っているが、剥げかかった塀の漆喰とか、剥げかけた貼紙を描き込んである絵が多い。こんな風景が北京らしいようである。やっぱり大連は違っていた。
夜、10時ごろ北京の自宅に付いた。自宅のすぐ側のビア-ガーデンは未だやっていたので、生ビールと羊肉串と麻辣湯(マーラータン)という辛いスープで野菜を煮込んだ料理を屋台で買って、二人で食べた。総額300円とチョト位の安い食事で7日間の旅を締めくくった。
かくして娘と私の、海と建物を巡る旅は終わったが、翌日も娘を北京の什刹海(シーシャーハイ)という、大きな海がある公園に連れて行った。とてもきれいだと言って喜んでいたが、ここは海と言っても池のことで、海ではないので、青島・煙台・大連の旅行のお話はここで終わりにすることとする。
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