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黄嘉珞 厦門大学

2017-12-22 11:27:06     cri    

私と日本

 小学校時代のある夏のことだった。私はこっそりと家の書斎に入って、本棚から一冊の本をとって、読み始めた。その頃の私にとって読書は一番幸せなことだったが、今もその本を自分の友として大事にしている。幼いころの記憶は鮮やかで、まるで昨日読み終わったばかりのように、ずっと印象に残っている。本の名は『門』である。内容は良くわからなくても、どんどん読み進むにつれ、暑い中にいても、この本が心を静めてくれた。言うまでもなく、ただの小学生だった私は『門』に描いた近代日本の若い知識人の複雑な心境がとても理解できなかった。しかし、私はほとんど毎日日本の文学作品に夢中になっていた。日本の文学作品は年齢や国籍を問わず、人の心を引き付ける力があるからこそ、私を夢中にさせるのだ。

 「縁」というものを信じている私は、やっと念願が叶って、日本語学科の学生になった。私と日本の間に強い絆があると感じている。入学後、何冊も夏目漱石の小説をもう一度読み直した。驚いたことに、今回読んだ時、新刊さながらの新鮮みが私に押し寄せてきて、十年前の感覚とは全く違っている。それは、この十年間、私は漱石の小説を読むことにより、物事を考える人間のように少しずつ成長してきたからだと私は考える。私の「こころ」を造ったのは、漱石であると言えよう。漱石を読んだ結果、私の「こころ」は美弥子のこころであり、直のこころであり、お米のこころであり、三千代のこころであり、お延のこころとなった。こうした女たちのこころとして夏目漱石が描いたものを、自身の「こころ」の中に見つけ、確認するということが、漱石を読むことと同じになった。誠実に生きようとする意志だけでは、人間は誠実には生きられない。私は自分の「心」に信頼をおけない。「先生」のように、いつ友を裏切ることになるか、戦きながら生きてきたのである。

 『吾輩は猫である』を読んだとき、主人公の猫が多くの中国の典籍や詩といった内容を引用している。それは、外国人の作家にしては案外珍しいことだと思った。私は関心を持って、漱石と中国文化のつながりを調べてみた。漱石は漢詩を好み、それを自ら創作までしていたということがわかった。それに、漱石は近代日本社会に対して、興味深い観点を提出している。この点については、思わず魯迅のことを思い出した。なぜなら、魯迅も同様に、不屈の戦士のように舌鋒が鋭くて、当時の社会における醜い現象を暴いたり、社会体制の弊害を批判したりしたからである。一般に、大和民族の特徴或いは日本人の性格を論じるとしたら、漱石を抜きにしては何も言えないだろう。「虚偽である。軽薄である。」と漱石は糾弾する。ひたすら西洋のすべてを受けようとする日本人と異なり、魯迅をはじめとして、中国の知識人は物質以外の精神的な覚醒を追求して西洋化に抵抗しようとしていたと、魯迅研究者の伊藤虎丸は考えている。半藤一利が書いた『漱石先生ぞな、もし』を読めば、「近代日本というものは、漱石によれば、すべて外圧的に西欧文明を吸収せざるを得なかったから、そうしてきただけであり、決して内発的なそれではなかった。」ということがわかる。いくら所属する地域や文化などは異なるが、魯迅も漱石も国民の個性を分析し、社会の本質を探求することをきっかけとして、文学作品を創作してきた。漱石の反省意識と魯迅の風刺芸術は刻々と私の魂を奪っていった。さらに日本に近付いたような気がした。奇妙といえば奇妙だし、私と日本は生命力のない、冷たい文字でつながっている。それに加え、わたしの性格も彼らが文字に表したエッセンスによって改善できた。

 もっともっと、日本文化の源を知りたかったので、『源氏物語』を読んだ。そこで、私は平安朝貴族の優雅さに感心した。さらに、それを読みやすくするため、日本語の古典文法まで習った。古文の柔らかい表現と和歌への関心もより一層高まってきた。中学時代に魯迅が翻訳した『枕草子』を読んだことがある。その時の感覚は今でもはっきりと覚えている。この本が与えてくれたのは哀れであり寂であり情趣だ。つまり、日本的な美意識に属するのは派手さではなく、地味なものであり、静かなものだと考えられる。私はこういう美意識を身に付けたいと思いつつ、周囲の物事に隅々まで気を配っている。

 このようにして、日本の文学作品を通じて、日本は私にとって見知らぬ国でなくなった。そして、私の成長に大きな影響を与えた作品に感謝の気持ちを伝えたい。

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