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潘东晨 青岛大学研究生院

2017-12-22 10:46:23     cri    

未来の中日関係に向けて

 「千早ぶる 神代もきかず 龍田川からくれなゐに 水くくるとは」

 秋の終わり、村田先生から在原業平の和歌が書かれた一通の絵葉書をもらった。これを見るたびに、往時の思い出が鮮明に蘇る。

 大学で日本語を専攻している私は、最初日本語を単なる一種の技能と考えて、好きでも嫌いでもなく、日本のことにも特に関心がなかった。しかし、村田先生と出会って初めて、日本に対する気持ちが変わり始めた。三年生の時、村田先生は私たちに日本古典文学を教えてくださった。日本の古典文学は内容も複雑で、難しいところも多いから、授業はきっと退屈だと思いきや、村田先生は生き生きとした言葉を駆使して、私たちを古典文学の世界へ引きずり込んだ。知らず知らずのうちに、私も日本の古典文学、特に美しい言葉に溢れる和歌に夢中になってしまった。ある日、私は先生と一緒に学校の小石を敷きつめた小道を散策していた。ちょうど十月の頃で、道端の楓はすでに真赤に染まって、何枚もの紅葉がひらひらと秋風に舞っていた。目の前の光景から一首の和歌を思い浮かべた。すると「千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに              水くくる」と私は思わず細い声で詠った。「この和歌の意味を知っているのか?」と先生に聞かれたので、「はい、楓を詠んだものでしょう。」と自然に答えた。「確かに表面的には楓を詠んだ風景の歌だが、実は業平が二条の后に捧げた恋の歌だという説もある。でも、僕が気になっているのはこの『唐紅』(くれなゐ)だ。当時の中国が日本にとっての先進国だった。たくさんの優れたものが日本に渡ってきていたので、唐紅は唐土からの綺麗な紅色という意味となった。中国と日本の絆は大昔からあるんだね。」と先生は微笑みながら解釈してくださった。

 当時の中日関係は今よりよほど良かったのではないかと思いつつ、図書館で資料を調べた。中日の交流は漢代から始まって、唐代にもっとも盛んになった。遣唐使の隆盛に伴って、唐風文化が日本で一時に栄えたことが「古今集」などの和歌集にも現れている。また「万葉集」は漢字で書かれて、内容も中国文化の影響を受けている。その漢字を表音字として用いた万葉かなは簡略化されて、今のひらがなとなる。先生のおっしゃった通り、中国と日本は切っても切れない絆があって、和歌もその一つの有力な証明だろうと感じた。

 その日から、日本のことをもっと知りたくなった。中日両国人民のお互いに対する考えについて先生と何度も話し合った。話によると、先生は中国に来る前に、中国のことをあまり知らなかったので、メディアや他人の説による先入観と思い込みがあったそうである。しかし、彼は中国に来て初めて、自分がさまざまな誤解を抱えていたと気づいた。中国でその奥深い文化と優しい人々に心が打たれた。「以前は交流がなかったので、誤解が生じた。でも今僕は中国が好きだ。帰国したら、僕は本当の中国のことを周りの人に詳しく話して、誤解を解こうと思う」と先生が話してくださった時に、何と答えて良い分からずひたすら感動したのを覚えている。「もし今が古代であれば、先生は遣唐使になっているでしょう。」と私がやっと冗談半分に言うと、彼は「それじゃ、潘さんにも中日交流の使者になってほしい」と真顔でおっしゃった。この話を心に留めると同時に、交流の力量をしみじみと感じた。

 今の中日関係は微妙だと言える。政治における主導権争いは続いても、経済や交流においては依然より良い関係も少なくない。発展した両国はお互いに歴史に残る問題を直視して、交流を通して矛盾が解ければ、未来の中日関係に新しいページを開けるのではないだろうか。さらに、日本語を勉強している私たちは自ら中日交流の力になれると思う。私たちは草の根では国家間の矛盾を越えて交流ができる。お互いの偏見を捨て去って、思い切って一歩前に踏み出せば、理解し合うことはさほど難しいことではなくなるだろう。

 中国には「水滴石穿」(水滴も同じ位置に落ち続ければ、いずれ石にも穴をあけることができる) という諺がある。小さな力でも、積み重ねれば強大な力になることの喩えである。中国の古代から始まった友好の歴史を思い直し、かつて不幸な時代もあった歴史を直視して、一人一人の小さな努力が結集してこそ、未来の中日関係に明るい希望が湧いてくると信じている。

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