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1時間目 スペシャル「南京大虐殺から80年~紫金草に託された平和への思い」

2017-12-12 18:42:30     cri    

 担当:王小燕、斉鵬

 「紫金草」とは日本で誕生した言葉です。日本では別名は「むらさき花だいこん」、中国名は「二月蘭」、「諸葛菜」です。今では中国語として普及したこの言葉、そして、この言葉であらわす花には忘れてはならない人々の平和への思いが込められています。

 1939年、日本軍陸軍衛生材料工場の工場長を務めていた山口誠太郎が南京の紫金山のふもとで、この花の種を採集して日本に持ち帰りました。戦後、山口さんは戦争への反省と平和への願いを心に抱きながら、家族と共にこの花の普及に努めました。花の名を「紫金草」と名付けました。現在、紫金草は日本各地に広まり、「平和の花」として知れ渡っています。

 「南京大虐殺から80年」にちなんでのスペシャル企画の1時間目の放送では、この4月に、江蘇文芸出版社から刊行された小説「紫金草」に託された思いをお伝えします。

 

 作者は南京のジャーナリストで、陳正栄さん(55歳)です。陳さんは「自然界には数千万種の花があり、変わったものも沢山ある中で、二月蘭は実は平凡なものです。ある日、二月蘭の背後の物語を知って、私はこの花が好きになりました。このことから、荒れすさんだ時代に鳩が口にくわえて持ってきたオリーブの枝や、第一次世界大戦の時にフランダースの高地に咲いたケシの花を思い起こしました…私はますます多くの方が、二月蘭を好きになってくれることを信じています」と前書きでこう書いています。

 この本は、この4月、日本から南京、泰州を訪問し、公演をした紫金草合唱団の団員、中野勝(70歳)さんにより、わずか半年ほどで全編を日本語に翻訳されました。

 中野さんはこの本について、「歴史的事実を踏まえながら、巧みな場面設定のもとに、綿密な取材で得た材料と豊富な知識を生かして、小説としての面白さに心を配りながら、最後まで読者である私の心を引き付けてくれました」と評価しています。

 また、この小説により歴史を伝えることの意義について、「悲惨な出来事があった時、人々はそれを後の人に語り継ごうとします。それは、ただ単に恨みつらみを述べるためというよりも、再びそのような悲惨なことを繰り返さないで欲しいという祈りが込められているからです…(中略)加害者側は早く忘れたいと思うかもしれませんが、被害者側は加害者側にきちんと事実を認めてもらって、亡くなった人たちの魂を慰めてほしいのです…(中略)"忘れられないことがある。忘れてならないことがある"、この気持ちがあるからこそ、こうした活動が連綿として続けられて来たのではないでしょうか。こうした活動が、今後さらなる発展を遂げていき、日中間の友好と交流がさらに深まっていくことを願っています」と語っています。

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