1時間目 遣唐使時代と近代の中日間の船の交流と観光
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復元された遣唐使船
名古屋訪問時の「明華号」の交流会
中国の隋の時代から、日本の僧侶を中心に遣隋使が中国に派遣され、中国の政治制度、仏教、文学、音楽、芸術など、あらゆる分野に渡って進んでいた中国の知識や技能を学んで日本に持ち帰っていました。そして唐の時代には、大規模な遣唐使が中国に派遣されました。遣唐使は、長安周辺で知識や技能を学んだほか、地方にも赴いて見聞を深めました。遣隋使、遣唐使は船で海を渡ってきたため、隋唐時代における中日両国間の「友好の船」ともいえます。
そして、新中国成立後の1973年、周恩来総理は中国訪問中の日本の議長に「中日友好交流は、船の形で行いましょう」と提案しました。日本はすぐにこの提案に応じ、1973年9月に、「兵庫県洋上大学」480名、「三重県青年洋上大学」240人と2つの「友好の船」訪中団を実施しました。1978年までには「友好の船」の実施回数は合計40回にも上りました。
「中日平和友好条約」が1978年に締結され、中日友好促進施策の一つして、中国から「友好の船」訪日団の派遣が提案されました。1979年5月に上海港より中国の「明華号」船が出港し、中日友好協会の会長・廖承志を団長とする606名の団員が5月9日から約1ヵ月にわたって日本全国を周遊しました。下関、大阪、名古屋、東京、室蘭、新潟、富山、境港、福岡、長崎など10の港に寄港し、33の都道府県、174の市と区、71の町を訪れました。
今日の番組では、観光の専門家・梁華さんと中国国際旅行社の専門家・鄔其興さんと一緒に、中日交流を担った「友好の船」についてお話します。どうぞお聞きください。
2時間目 専門家が語る1990年代の「友好の船」訪中団
観光の専門家・梁華さんと中国国際旅行社の専門家・鄔其興さんは、観光分野の最前線に立って、観光計画の立案や日本人を国内各地に案内するなど、豊富な経験を持っています。そして、中国国際旅行社の社員として、中日「友好の船」訪中団を北京に何度も案内してきました。この時間は、二人の専門家が、1990年代の「友好の船」訪中団が天津港から上陸し、北京観光したときの様子をお伝えします。 梁華さんは、1995年の「青森友好の船」が北京を訪れたとき、団長の青森県の村井博美副知事が北京郊外の十三陵で、村人が売っていたりんごの食べ比べをしたというエピソードも話してくれました。皆さん、是非、お聞き逃しないように。(文:任春生、一部の写真:梁華)
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