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1時間目 都市部サービス業従事者の所得調査、北京電影学院動画学院で人形アニメの父「持永只仁賞」受賞式

2016-12-20 20:24:25     cri    


担当:王小燕、斉鵬

 今日の北京は大気汚染指数500!メーターを振り切る数値です。先週末から続いている北京の大気汚染は今日がピークで、冬至の明日(21日)夜から少しずつスモッグが消え、大気汚染が解消するという予報です。青空が帰ってくるのが待ち遠しい!

 今週の番組は先ず「旬な話題」で、都市部のサービス業従事者の所得調査の結果を紹介します。一部の「ブルーカラー」と呼ばれている職種の賃金は人手不足と言うこともあり売り手市場。このため、いわゆる「ホワイトカラー」よりも高いことが分かりました。しかし、サービス業従事者は賃金以外では、依然として社会で弱い立場にあるとみられています。この調査から中国社会のどのような現実が読み取れるのか、斉鵬アナが分析します。

 後半の「スペシャル・バスケット」は、この秋に行われた、北京電影学院動画学院「第16回動画学院賞」の授賞式を取材しました。授賞式では数多くの賞がありましたが、日本人アニメーション監督の名前が冠された「持永只仁賞」は、動画学院賞と同じく今年で16回目を迎えました。


10月30日、北京電影学院で行われた受賞式の様子

 昨年末の「CRIインタビュー」でも取り上げましたが、持永只仁(もちなが・ただひと)氏(1919-1999)は日本の「人形アニメの父」として知られています。日本で初の多層式アニメ撮影台の開発にかかわり、戦前からアニメーション映画『桃太郎の海鷲』をはじめ、多くの作品の制作に携わりました。高畠勲監督をはじめ、今日の日本アニメーション映画を支えている監督たちに大きな影響を与えているアニメーション作家です。

 1945年5月に、当時、日本の植民地であった中国東北部に渡った持永氏。日本が敗戦した後、1953年まで中国に残り「方明」という中国名で、中国のアニメーション制作と人材育成に尽力しました。日本に帰国後、現場に復帰し、日本やアメリカを拠点に、「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」を始め、数多くのヒット作を世に送り出しました。

 1985年8月、北京電影学院に招聘され、「動画コース」の講師として北京に1年間滞在。教え子は、その前の年1984年に同大学「アニメーション専攻」に入学した学生13人でした。この13人の大部分は、後に中国のテレビ・アニメーション制作の主力になり、現在も第一線で活躍しています。

 1999年、持永氏は「アニメーション、アニメーション」とつぶやきながら、永眠しました。奥様は持永氏の遺志として、中国でもらった給与の一部を、アニメーターを目指す若手学生への奨学金として北京電影学院に寄付し、第1回持永只仁賞がスタートしたのです。「持永只仁賞」の設置を受け、13人の教え子は「恩師の名前が冠されたこの賞をずっと継続し、中国のアニメーション事業に果たしたその功績をいつまでも伝えていこう」、と改めて結束しました。

 受賞式では、今年も電影学院の招きに応じて、持永氏の長女・伯子さんが日本から駆けつけました。どのような気持ちで参加したのでしょうか。受賞した学生や、持永先生の教え子の楊登雲さん(北京隆馬弘生動画制作有限公司会長)にも話を聞いてみました。

 戦争の時代を潜り抜け、現在も太い絆でつながっている中日文化交流のワンシーンをぜひお聞きください。

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