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福建省出身の私は子供時代から米に対する特別な感情を持っている。ご存知のように、中国は複雑な地理条件によって、北は麺類、南は米という食習慣が古くからある。生粋の南方人である私も米の熱狂的なファンで、特にお粥は大好物である。水と米、大地の味が満ちた食材がお互いに一つの容器の中で融け合い、自然の恵みを歌い上げる。最も素朴な料理、お粥はこうしてゆっくりと出来上がっていく。蓋をあけて、粥の蒸気がふわっと噴きあがってくる時、私にとってそれに勝る楽しみはない。
それほどお粥の大好きな私だが、中学校に進学してから、とんだ悩みに出会った。学校の食堂がライスしか提供していなかったのだ。父と母はどちらも遠くで働いていた。家でも学校でもお粥が食べられなくなったことを心配して、両親はある日、電話をかけてきた。「もし食堂のものが食べつけないなら、お婆さんの所で食事を取るのはどうだい」と父は優しく言った。
「お婆さんか」しばらくの沈黙の後,「いいよ」と私は答えた。
私のお婆さんは生粋の農民で、毎日顔は土に向けて背は天に面する生活を何十年も過ごしていた。物心がついて以来、お婆さんが綺麗で清潔な身なりをしていた記憶はあまりなかった。いつでも泥まみれ、汗だらけの様で、しかも仏頂面で、他人が何か悪いことをしたかのような態度で人を扱う。小説の中に現れるやさしく、孫を王子のように可愛がるお婆さんとは全く逆のタイプである。それゆえ、私は小さい頃から、あんまりお婆さんを好きではなかった。父のアドバイスに従ったのも仕方がないから、そうしただけだ。というわけで、それ以来、私は毎日お婆さんの家に通う生活を始めた。
お婆さんの家はガスがなくて、まだ伝統的なかまどを使っていた。しかし自然の火は人工の火と比べると、加熱がより均等なおかげで、作られたお粥は一層おいしく味わえる。さらに、自家製の新鮮な野菜を炒めてくれるのが、誠に何よりのご馳走だった。ただし食卓で私とお婆さんの会話は相変わらず少なくて、しかもつまらなかった。祖母と孫の愛情はまったく流れていなかった。
ある日、実際は帰る予定はないと言ってあったのだが、大事な資料をお婆さんの家に忘れて、急に戻らざるを得なくなった。
「ただいま。」私はお婆さんの小さい家に入った。
「え、どうして今日は戻ったの?」彼女は怪訝そうな顔をしていた。しばらく経ってから、「あ、しまったなあ。ご飯が多分足りないよ。」と呟いた。
「そんなはずはないよ、いつもどおりお碗一杯で十分だよ。」と言いながら、私はかまどに近づいて、鍋の蓋をあけた。
「え、なぜ今日のお粥はこんなに薄いの。」
「おまえが帰らないと思って」お婆さんはいつもの仏頂面で小さい声で言った。しかし、その言葉は私に大きいショックを与えた。
この痩せて、皺だらけの女性がどれほど節約した生活を送っているか自分は子供時代からよく知っていた。人間もとけてしまいそうな真夏の日に、わずかのお金を惜しんで、安い西瓜さえ買おうとしない。「水を飲めばよい」と常に私に言い聞かせた。勿論、そんなお婆さんだから、お菓子を買ってくれることも滅多になかった。幼い自分は多分それでこの人をどうしても好きになれなかったのだろう。それから、自分は両親と一緒に別の町に移って、お婆さんの家にはあまり行かなくなった。お婆さんは私の心にけちで冷淡な印象を残したまま、私自身の生活からだんだん離れていった。もしあの日の午後、自分が戻らなかったら、私はお婆さんのあのさりげない親切に気づかないままでいたのではないか。歳月を経て分かるようになったが、お婆さんは愛情を言葉で表すのが得意ではなかった。あの頃食べていたお粥の米の一粒一粒には、お婆さんの愛情の深さが凝集されていたのだと思う。真面目で黙々と働いていたお婆さんの優しさが、今頃になって心に沁みる。
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