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8月23日 火曜日

2016-08-23 22:27:35     cri    


 1時間目 もう一つのリオ五輪、中国人の目に映った「大地の芸術祭」

 担当:王小燕、斉鵬

 中秋節(旧暦8月15日)まで残り3週間、北京のあちらこちらでもう月餅の広告を目にするようになりました。季節が少しずつ移り変わっていく中、今週からは火曜日の放送は王小燕、斉鵬コンビでお届けします。

 番組の前半は、スポーツファンの斉鵬アナが閉幕したばかりのリオデジャネイロ・オリンピックを振り返ります。メダル争いではなく、若者の間で盛り上がっている話題をピックアップしてご紹介します。

 後半は先週に引き続いて、新潟市越後妻有地区で開かれる「大地の芸術祭」に焦点を当てます。先週の番組でもお伝えしましたように、中国総合アート展「華園七月節」の会場は「奴奈川キャンパス」。地元の小学校が廃校になってから、重要なアートスポットとして生まれ変わりました。 校舎を使って、地元の里山の風景を彫刻作品に仕上げたアーティストで、日本大学芸術学部美術学科の倉掛純一教授と共に、校舎の中を回ってみました。    

 先週は時間の制約上、「大地の芸術祭」の理念、中国での受け止め方などについて紹介することができませんでした。今週はこれをめぐり、同芸術祭総合ディレクターの北川フラムさんや、アーティストで、上海理工大学美術学部副主任の李偉さんに話を伺います。

 人間が生きていく上に不可欠な精神面のニーズ、つまり、生きがいのことにどう答えて行けばよいのか。これはアートの問題でありながら、哲学であり、政治であり、国のあり方そのものでもあります。中国でも最近、「農村建設」(地域創生)にアートやデザインの力を用いる発想が少しずつ広まっています。安徽省や山西省、河南省などでそのテストが見られています。今後、チャンスがあれば、中国の農村の動きもご紹介できればと思っています。

 2時間目 【私にとっての戦争と平和】未来に寄せる期待~三田満さんに聞く③

 聞き手:王小燕

 シリーズ企画「私にとっての戦争と平和」の最終回です。元少年兵で、神奈川県日中友好協会会員の三田満さん(86歳)に戦後の職歴、徐福研究に寄せた思い、中日の友好交流に対する期待などを伺います。

 三田さんのライフストーリーは一個人の人生物語ではありますが、数多くの同年代の共通した体験でもあります。三田さんの世代の方たちは、これまでに中日友好の底流を支えてきましたが、今、バトンが若い世代に渡されています。先代が自らの体験に基づいて痛感した平和と友好の大切さを、後の世代としてそれをしっかり受け継いでいく必要があると切に感じております。

 詳しくは三田さんのお話をお聞きください。そして、番組をお聞きになってのご意見やご感想などをriyubu@mail.com.cn宛にお寄せください。お待ちしております。

 【プロフィール】

 三田満(みた みつる)さん

 1929年12月 現・韓国仁川(インチョン)生まれ。

 1935年   父(久保田鉄工所庶務課勤務)が北京へ転勤

 1942年2月 中学受験のため北京へ(北京中学校4期生)

 (1945年まで両親と共に、天安門近くの北池子にある四合院で暮らす)

 1945年4月 土浦海軍航空隊予科練入隊のため、単身で初めて日本の土を踏む。

 土浦海軍航空隊の入隊と共に、藤沢にある同航空隊分校にあたる海軍電測学校に編入。

 日本の敗戦後、母方の祖母が住む熊本に復員。

 天草、対馬、福岡、大阪、東京など各地を転々として、アルバイトで生計を立てる。

 1954年、アメリカ銀行(バンク・オフ・アメリカ)の米軍向け窓口業務の仕事をしながら、早稲田大学政経学部の入試に合格。

 卒業後、コネクタやレジスタなどを扱う外資系企業のAMP、NCR、ドットウェルなどでの勤務を経て、中小企業診断士の資格取得。友人と共に、電子部品の会社を自ら経営。65歳の定年退職と同時に神奈川県日中友好協会に入会。中国語の学習を始めると共に、留学生に日本語を教えるボランティアを務める。

 その傍ら、神奈川県徐福研究会、日中未来の会など中国との文化や歴史的なつながりを研究し、将来に向けた中日関係を考える民間団体で、中国や中国人との交流を深め続けている。

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