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5月3日 火曜日

2016-05-03 17:52:51     cri    

 1時間目 白昊アナがPSCにチャレンジ、中国文学の翻訳誌『灯火』、日本刊行に向け準備中

 担当:王小燕、白昊

 メーデーの三連休が終わった北京は、紺碧の空が広がりました。まるで台風一過のよう。写真は13階にある日本語部オフィスからの眺めです。日本はまだGWの真っ最中のようですが、いかがお過ごしですか。

 こちらは、昨日月曜日の雨のおかげで、新緑が一層鮮やかに見えています。こんな北京からお届けする今週の番組は、最近届いたリスナーのお便りをご紹介した後、白アナの近況報告です。白アナがこのほど、「PSC」という試験にチャレンジしました。「PSC」とは「PUTONGHUA SHUIPING CESHI)の頭文字で、中国語共通語のレベルを測る試験です。どのような思いで試験を受けたのか、そして結果は?更に、試験問題の構成や、受験者の様子は?

  
(右)『人民文学』ならびに『灯火』・施戦軍編集長

 後半の「スペシャル・バスケット」では、現代中国文学を日本語で翻訳、出版する雑誌「灯火」関係者のインタビューをお届けします。昨年末に中国で発刊し、これまでに2号が出ている「灯火」は、現在、日本国内で出版、発刊する可能性を探っています。中国で日本文学が翻訳、出版されている状況に較べて、日本における中国文学の翻訳と紹介は極端に数が少ないと言われています。こうした両国の文学交流の実情を背景に、「灯火」の発刊の意義はどこにあるのか。また文学を通した交流現場での新しい動きは?「灯火」の施戦軍編集長、大江健三郎文学の翻訳家・許金龍研究員、中国文学の翻訳家・泉京鹿さんを始め、読者代表の方たちにもマイクを向けてみました。

 2時間目 特別企画「中国アマチュア無線の今」

 担当:王小燕、高橋恵子

 5月5日は中国では「アマチュア無線の日」です。

 中国にアマチュア無線が初めて登場したのは、1929年の上海でした。その後、愛好家が少しずつ増え、1936年までに上海、北平、広州など大都会を中心に、オペレーターは約300人ほどに上ったようです。

 1937年、盧溝橋事変が勃発し、抗日戦争の戦火が全国に広がりました。無線通信がすでに不可欠なものとなった当時、アマチュア無線家たちは「非常時協力隊」を結成し、情報収集で重要な役割を果たしました。1938年5月5日には、アマチュア無線の愛好家たちは全民族の団結を呼びかけ、一斉に電波を使って交信するイベントを行いました。後に、この日を記念するため、5月5日が「中国アマチュア無線節(アマチュア無線の日)」となり、略して「中国HAM五五節」とも言われています。

 今年もその5月5日を目前に控え今回の番組は「中国アマチュア無線の今」と題し、特別企画でお送りします。私たちは3月26日、アマチュア無線の国際コンテストが行われると言うので、北京市通州区斉善庄にあるアマチュア無線クラブに取材にでかけました。誘ってくれたのは、オペレーターの1人として参加した、日本人駐在員の中山孝蔵さんです。中山さんは中国でも免許を取得し、中国のHAM(アマチュア無線家)とよく交流しています。

 案内してくれたクラブは私たち北京の西郊外にある北京放送(CRI)とは正反対の東郊外にあり、公共交通で片道2時間余り。鉄塔が7棟、そこに27本のアンテナが設置され中国のアマチュア無線局の中では五本の指に入るほどの規模を誇っています。

 ところで、中国で現在のアマチュア無線が解禁されたのは1992年末でした。その後、小中学校でアマチュア無線のサークルもでき、現在は愛好家が20万人以上いるということです。また、最近では地震などの自然災害の救援活動でも重要な役割を果たすようになっています。

 どのような人たちがどのような思いでアマチュア無線に情熱を注いでいるのか、アマチュア無線のコンテストの様子は?また、日本のアマチュア無線事情と較べての感想は?無線局で目に入った風景の紹介と共に、HAMの皆さんにもマイクを向けてみました。(写真提供:李志傑さん)

 【写真で見る北京通州のアマチュア無線局

  
北京市通州区斉善庄・アマチュア無線クラブハウス入り口付近 

  
立ち並ぶ鉄塔。左は、カササギが巣を作った鉄塔。

  
(左)クラブハウス内 (右)コンクールに参加中!陽光無線クラブのオペレーター

  
クラブハウスから徒歩3分ほどにある張さんのご自宅、
左は入り口、右は無線通信の部屋

  
(左)クラブハウスの向かいには野菜や小麦が植えられている畑が広がっている。
(右)敷地内に置かれている鉄筋、「次の鉄塔作りに向けての準備」と関係者。

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