「人的交流が相互理解および友好促進に及ぼす影響と言論がどのような役割を担うべきか」
日本、中国、韓国の関係において、二者であれ、三者であれ、国交正常化し、日本と中国の場合であれば、<日中平和友好条約>を締結しており、その前文で、「両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもって回顧する」と謳っている。友好関係の基礎に、人的交流が盛んであることが大前提である。とりわけ、現在の日中関係において、政府間関係に陰りがあり、大臣レベル・首脳レベルの会談が容易に持てない状況にあっては、民間交流なかでも観光往来、文化交流、経済交流が、相互理解と友好の促進を支えている。とりわけ、中国の一般国民の日本への観光訪日は、昨年は前年比の2倍増を記録しており、中国国民の日本理解に大いに役立った。メディアの報道によるのではなく、自分の目で日本を観察・実体験したことは、日中相互理解・尊重の歴史において、画期的なことであった。
問題は、それをメディアが、どのように反応し、報道したのか。民間交流の拡大が、政府間交流を促して互いの相手国への政策を変えるのか変えないのかである。
外交は、「国益第一」とよく言われるが、私は国益とは、国家利益ではなく、国民利益の略称だと考えている。国家の利益ということが、これまで何度多くの国家間の戦争を起こしたことか。例えば、石油が欲しければ、食糧が欲しければ、他国を侵略してよいのか。自分の国家の利益だけを考えて、多くの戦争が起こった。日本国憲法は、日本の侵略戦争の反省のうえに、その前文で「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と明記している。人的交流が相互理解を促して友好を促進すれば、「他国を無視」することはない。
問題は、メディアの報道である。報道は、<事実>を伝えると共に、<真実>を語らねばならない。もし、日本や韓国のメディアが、中国報道するにあたって、東中国海・南中国海のことばかりを追っかけて大きく報道し、しかも、外交交渉では、日本は、1982年の英国首相の来日時に、日本首相が「尖閣は棚上げした」と伝えていた<事実>を、最近になって、英国の「外交文書」公開によって明らかになったことひとつをとっても、「尖閣問題」が日本国民の対中国理解をゆがんだものにしているのだから、大変恐ろしいことだ。一般の中国国民が、普段、何に興味を持ち、どういう日常生活を送っているのか、ということを小さく報道するなら、日本国民の中国理解は、現状のように偏ってしまう。メディアは、限られたスペースに盛り込むため無理からぬことだが、「現場感覚」のない「権力闘争」や「武力衝突」に興味ばかりが集中するのであれば、相手国への国民の理解は、間違ったものになる。もし、中国メディアが、日本や韓国のいわゆる「三面記事」ばかりを追っかけて大きく報道すれば、中国国民の対日・対韓感情もよくないものになるのは当然だ。いずれの場合も、メディアが、心しなければならない。
「言論」は、時に「武力」より恐ろしいものになる。
外交には、ダブルスタンダートどころか、トリプルスダンダートまであると言われるが、気に食わない相手国に対し、体制崩壊を強要したり、武力で威嚇するのではなく、国際的な討議の場で、徹底な話し合いが必要だ。<日中平和友好条約>で、日本と中国は、「すべての紛争を、平和的手段により解決し、および武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」(第1条 第2項)と約束していることは、世界に向かって誇るべきことだ。朝鮮民主主義人民共和国の「核・ミサイル」問題も、武力に訴えるのでなく、関係国による話し合い以外に解決の道はない。
日本、中国、韓国は、<一衣帯水>の関係にある。近すぎて、相手の顔の全体像が互いに見えにくいのかもしれないが、ヨーロッパには、もっと近い関係にあるフランスとドイツがあり、あんなに戦争しあった二国にもかかわらず、いまではEUを形成して、仲良く共生している。われわれ三国は、これに学ぼうではないか。<東アジア共同体>構想も、有力な選択肢の一つだ。
昔、孔子は「近者说(悦) 遠者來」と言った。彼は、政治とは何か、との弟子の質問に答えてこう言ったのだ。近い者同士が、あなたが隣人でよかったとよろこびあえば、遠い者は、なぜあなたたちはそんなに仲がよいのか、と言ってやってくる、ということだ。この言葉は、政治だけでなく、外交にも当てはまる。
われわれ三国は、フランスとドイツに学ぶだけでなく、三国の共通の賢人のひとりである孔子の教えにも学ぼうではないか。
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