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10月6日 火曜日

2015-10-06 15:42:40     cri    


1時間目 国慶節連休中の中国の「表情」、「走進日企 感受日本」記念交流会

担当:王小燕、白昊

 国慶節大型連休の真っ最中に、ストックホルムから嬉しいニュースが伝わってきました。2015年「ノーベル生理学・医学賞」に、中国の屠呦呦(トゥ・ユーユー)氏が日本の大村智(おおむら・さとし)氏、アイルランドのウィリアム・キャンベル氏と共に受賞したのです。漢方薬剤の「青蒿(せいこう、クソニンジン)」から、マラリアを治療できるアーテミシニン(中国名:「青蒿素」)とジヒドロアーテミシニン(中国名「双氢青蒿素」)を発明し、マラリア治療に計り知れない貢献を果たしたことが、トゥ氏の受賞理由です。

 1930年生まれのトゥ・ユーユー氏は2011年、アメリカの「ノーベル賞」と呼ばれているラスカー臨床医学研究賞を受賞しました。その時から、「三無(三つがない)」科学者(博士号を取得しておらず、海外留学をしたこともなく、中国科学院のアカデミー会員でもない)であることが大変話題になっていました。

 ノーベル文学賞を受賞したのに続いて、ノーベル科学賞の受賞は、中国では初めてです。中国のマスコミはこの発表を受け、さっそく様々な話題で盛り上がり、喜びのブームはまだまだ続きそうです。

 さて、今週の「旬な話題」は国慶節大型連休中の中国の「表情」をお伝えします。世界各地へ観光に出かけた人だけでなく、国内で過ごす人たちの動きもご紹介します。

 後半の「スペシャルバスケット」では、9月28日に北京で行われた中国人大学生訪日交流事業「走進日企 感受日本」の記念交流会での取材をお届けします。同交流事業は両国関係が「政冷経熱」に陥り始めた2005年頃、「関係改善のために何ができるか」という中国日本商会・社会貢献委員会関係者の強い問題意識から検討を始めたものです。2007年5月から、中国日本友好協会と中国日本商会を始め、中国友好平和発展基金会、日中経済協会、貿易研修センターなどの協力を得て共同実施しました。その後2015年まで、計16回実施し、この間、北京、天津の30大学から計498人を派遣しました。28日の交流会には、主催者や受入れ協力者、訪日団参加者たちが約200人が出席しました。派遣元、協賛企業、ホストファミリー、参加者たちはそれぞれどのようにこの事業の意義を見ているのでしょうか。詳しくは番組をどうぞお聞きください。

2時間目 北京日本学研究センターの30年――徐一平主任教授に聞く

 この秋、創設30周年を迎えた中日合作の教育研究機関「北京日本学研究センター」の徐一平主任教授にお話を伺います。

 センターの前身にあたる「大平学校」(中日文化交流事業としての日本語教師再教育事業)2期生の徐教授は、1994年の副主任教授就任からセンターとすでに20年あまりの月日を共に歩んできました。この間、日本学研究センターは、時には風雨もあった両国関係を背景に、大きく成長し、発展してきました。

 しかし、徐教授は言います。

 「中日関係にどのような変化が起きるにせよ、相手国をより深いレベルで理解し、知るというニーズは変わらない。むしろ、関係が良くないからこそ、その必要性が一層高まってくる。センターの活動は、両国関係の変動に影響されることはない」

 ぶれない姿勢がそこに貫かれています。


1985年9月 日本学研究センター設立セレモニーの写真

 これまでの30年は、中国にとっては経済、社会、人々の暮らしや物事の考え方などにも大きな変貌があった30年でした。いま、中国から海外観光に出かける人数は年間、延べ1億人を超えるようになり、中国は世界と融合するスピードが速まりつつあります。そうしたことを背景に、中国の日本研究も国内に限らず、近隣諸国・地域、ひいては東アジア、全世界へとつながりを持たせて、「日本国内の研究者にとっても参考になれる研究をしていく」ことが求められていると徐教授は指摘します。

 学生たちの日本をみる目にも変化が起きているようです。「我々の世代は語学を専攻した人が多かったですが」と振り返る徐教授は、「いまの学生たちは自分の好きな分野や趣味があり、そこから日本文化や社会に対する関心が高まっている」と言います。

 「中日関係は両国にとってだけでなく、アジア、そして世界全体にとってもとても大事です。この二つの国は互いに理解すること。そして、それをベースに、平等で大人として交流していく。これこそ、中日の本当の姿だと思う。ぜひこのような姿勢で相手の国を見たり、自分の国を理解して付き合っていってほしい」

 徐教授が日本研究に志す若者へのメッセージです。

 詳しくはどうぞ番組をお聞きください。

【プロフィール】

徐一平(じょいっぺい)さん

1956年北京生まれ

1979年 北京外国語大学卒業後、同大学に教師として就職

1983-1989年 神戸大学留学、言語学で博士号取得後、中国に戻る。

1990年代初め、CCTV「標準日本語」テレビ語学講座で講師を務める

1989年 北京外国語大学日本語学部選任講師、副教授

1994年 北京日本学研究センター副主任教授

2001年 北京日本学研究センター主任教授

博士課程指導教官

中国日語教学研究会会長

中華日本学会副会長

中国中日関係史学会常務理事

中国アジアアフリカ発展交流協会理事

中国国際徐福文化交流協会理事

「当代言語学」誌編集委員

「日語学習与研究」誌編集委員会主任など

主な著書

『日本語研究』

『中国における日本研究』など

【北京日本学研究センター】とは

 中国教育部と日本国際交流基金の提携により、1985年9月に北京外国語大学内に設置された教育研究機関です。

 その前身は、1979年12月、大平正芳元首相の中国訪問で調印された中日文化交流協定に基づいて設立された「全国日語教師培訓班」(愛称"大平学校")。

 これまでの30年、1500人余りの専門人材を養成し、卒業生は内外の大学、研究所、マスコミ、政府機関、企業などで幅広く活躍。

 写真はライラックに映える日本学研究センター教育研究棟入口(郭連友撮影)。2003年に使用開始したこの建物は日本政府の無償援助で建設。中には、17万冊の日本語図書を有し、中国国内最大級を誇る図書情報センターもあります。

 公式サイトhttp://www.bjryzx.org/

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