jpwenhua20150727
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一時間目、「ライフマガジン」と「北京暮らし」、冬季五輪招致に注目!
<ライフマガジン>
話題①:中国人留学生が見た日本の姿?
話題②:2022年冬季五輪招致に注目!
<北京暮らし>
2022年冬季オリンピックの開催都市が、いよいよ今月の末に発表されます。ご存知のように、北京と河北省の張家口市は共同で今回の冬季オリンピックの開催招致に参加しています。開催都市の発表は北京と張家口市の市民だけではなく、すべての中国人の注目を集めています。
<北京暮らし>、今日はスペシャル番組として、北京の冬季オリンピック招致にスポットを当ててご紹介します。
二時間目 中国の現代詩人とその作品 第8回 海子
月曜日2の時間目、<スペシャル番組>として中国の現代詩人とその作品にクローズアップしてお送りいたします。今日は最終回の8回目、中国現代詩の伝説とも言われる、海子(はいし)とその作品をご紹介します。
海子(はいし)は、1964年、安徽省のある小さな村に生まれました。本名は査海生といいます。農村生まれですが、小さい頃から古典文学や歴史に興味を持ち、1979年、わずか15歳で北京大学法律学部に入学しました。大学時代から「海子」というペンネームで詩の創作に乗り出し、青年学生を中心に人気を呼びました。
1983年、北京大学を卒業し、中国政法大学に就職して哲学を教える教員となりました。それから1989年まで、僅か7年間で200万字近くに及ぶ詩を創作し、『土地』、『海子の詩』などの詩集を相次いで発表し、大ブレークしました。1986年には、北京大学第1回芸術祭「五・四文学賞」の特別賞を受賞。1988年には、第3回『十月』文学栄誉賞を受賞しました。
海子の詩はロマン主義の抒情詩で、理想への憧れや「生」と「死」に関わる哲学を描く作品が多く、また、現実の煩わしさや残酷さから逃げ出し、美しい精神の世界に耽(ふけ)り、世界への愛、宇宙への愛を訴える作品も少なくありません。しかし、当時の中国では、彼の理想を理解できる人はそれほど多くはいませんでした。ですから、彼の作品には「現実逃避」とか、「消極主義」などのレッテルが貼られ、一時批判を受けるようになりました。これは、若い詩人にとっては大きな衝撃で、いっそう社会と距離をおこうとしました。字面をそのまま捉えると、愛に満ち溢れた作品を次々と書き上げましたが、その裏には、詩人としての孤独や苦しい生き方、苦悶(くもん)などが見え隠れしていました。
そして1989年3月26日、海子は河北省の山海関近くの鉄道でレールの上に横たわり自殺しました。享年25歳でした。海子の自殺は中国の文壇を驚かせ、「最も純粋な「生命」という詩に終止符を打つために自殺したのではないか」という人もいましたが、彼は当時すでに深刻なうつ病を患っていたことが後ほど明らかになりました。海子が中国の文壇に新しい息吹を吹き込んだことを表彰するため、彼の死から12年経った2001年、中国の「ノーベル文学賞」と言われる「人民文学賞」の詩歌賞が贈られました。
彼の詩集から、夏天的太陽(夏の太陽)」、「明天醒来我会在哪一只鞋子里(明日はどの靴で目覚めるのか)」、「活在这珍贵的人间(この貴重な世に生きる)」、「你的手(君の手)」という四つの作品を選んでご紹介します。
作品一:
これは、海子が1985年に創作した作品で、「人生は修行の如く。苦しみながらもいろいろと体験してほしい」と自分への戒めと励ましの意味が込められています。
《夏天的太阳》 ――海子 夏天 如果这条街没有鞋匠 我就打着赤脚 站在太阳下看太阳 我想到在白天出生的孩子 一定是出于故意 你来人间一趟 你要看看太阳 和你的心上人 一起走在街上 了解她 也要了解太阳 夏天的太阳 太阳 当年基督入世 也在这太阳下长大 |
『夏の太陽』 ――海子(はいし) 夏 この街に靴屋がなければ 僕は裸足(はだし)で 太陽の下で太陽を見つめるだろう 昼間に生まれた子供を思い出した わざとその時間に この世に誕生したのだろう 太陽を見る必要があるものね 愛しい人と一緒に 街を歩く その彼女を知るには 太陽を知る必要があるから 夏の太陽 お日様 かつてイエス・キリストも この太陽の下で育ったんだ |
作品二:
これは未来への困惑や未知への不安を訴えた作品です。理想と現実のギャップに絶望を感じていた海子が自分自身を救おうとしても救い道が見つからないという心の悩み、悲しみを描いた詩です。
《明天醒来我会在哪一只鞋子里》 ――海子 我想我已经够小心翼翼的 我的脚趾正好十个 我的手指正好十个 我生下来时哭几声 我死去时别人又哭 我不声不响的 带来自己这个包袱 尽管我不喜爱自己 但我还是悄悄打开 我在黄昏时坐在地球上 我这样说并不表明晚上 我就不在地球上 早上同样 地球在你屁股下 结结实实 老不死的地球你好 或者我干脆就是树枝 我以前睡在黑暗的壳里 我的脑袋就是我的边疆 就是一颗梨 在我成型之前 我是知冷知热的白花 或者我的脑袋是一只猫 安放在肩膀上 造我的女主人荷月远去 成群的阳光照着大猫小猫 我的呼吸 一直在证明 树叶飘飘 我不能放弃幸福 或相反 我以痛苦为生 埋葬半截 来到村口或山上 我盯住人们死看 呀, 生硬的黄土 人丁兴旺 |
『明日はどの靴で目覚めるのか』 ――海子(はいし) 僕は十分注意深い 足の指はちょうど10本 手の指もちょうど10本 生まれた時に僕は泣いた 死んだ時に人を泣かせた 僕は何も言わず 自分という重荷を背負(しょ)ってきた 自分のことが好きじゃないけど ひそかに背負い続けてきた 僕は夕暮れに地球に座る だからって、夜になったら 地球にいないというわけじゃない 朝だってそうだ 地球はお尻の下で しっかりと回っている 永遠なる地球よ、こんにちは! もしかしたら僕は木の枝なのかも 昔は黒闇の殻の中で寝ていた 僕の頭は境界線だ 梨のように 実になる前は 僕は寒さも暑さも感じられる白い花だ もしかしたら僕の頭は猫なのかも 肩に乗せて 僕を造った女神は月明かりと共に消えた 太陽の光に照らされた大きい猫と小さい猫 僕の呼吸が ずっと証明している 風に揺れる木の葉の如く 幸福を諦めない もしかしたら 苦しみに生を感じているのかも 半分埋められてもね 村の入り口か山の上で 僕は人々を見つめている やあ、人々を育てた硬い黄土(おうど)よ! |
作品三:
この詩は生命への愛を伝える作品とみられています。いくらひどい目にあっても、太陽の光を浴びて、波のやさしさを感じてほしいという願いが込められています。例えば泥が顔に付くという不愉快なことも、まさに植物が雨水を浴びるように、一種の幸せとして受け止めています。これほど自分を励まし、生活や生命を愛している詩人が、僅か25歳の若さで亡くなったことを思うと、残念な気持ちで胸がいっぱいになります。
《活在这珍贵的人间》 ――海子 活在这珍贵的人间 太阳强烈 水波温柔 一层层白云覆盖着 我踩在青草上 感到自己是彻底干净的黑土块 活在这珍贵的人间 泥土高溅 扑打面颊 活在这珍贵的人间 人类和植物一样幸福 爱情和雨水一样幸福 |
『この貴重な世に生きる』 ――――海子(はいし) この貴重な世に生きる まぶしい太陽 やさしい波 雲に覆われ 青草を踏んでいる僕は どこまでも澄んだ黒土(こくど)になったような気がする この貴重な世に生きる 泥が跳ね上がり 頬にかかる この貴重な世に生きる 人間は植物と同じく幸せなのだから 愛情は雨水と同じく幸せなんだ |
作品四:
この詩は海子が1985年に創作した作品の一つで、中国の華北地域にある故郷・安徽省への思いを伝えています。農村生まれの詩人は、僅か15歳で中国一流の大学、北京大学に入学し、故郷を離れ、大都市での生活を始めました。しかし、田舎の風景や無邪気な少年時代を懐かしく思う気持ちが募り、常に郷愁に浸っていました。
《你的手》 ――海子 北方 拉着你的手 手 摘下手套 她们就是两盏小灯 我的肩膀 是两座旧房子 容纳了那么多 甚至容纳过夜晚 你的手 在他上面 把他们照亮 于是有了别后的早上 在晨光中 我端起一碗粥 想起隔山隔水的 北方 有两盏灯 只能远远地抚摸 |
『君の手』 ――――海子(はいし) 北方 君と手を繋いでいる 手 手袋を外し 二つの小さな灯のようだ 僕の肩は 二つの古い家だ これほど多くのモノを詰め込んだ 夜も詰め込んだ 君の手 彼の上で 彼らを照らし お別れの朝になる 朝日を浴びて 僕はおかゆを手にとる 山も川も隔てた 北方を思い出した 二つの灯よ 遠くから撫でるしかできない |
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