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中国でゼロから創り上げてきた「私」 視聴へ

2015-07-15 20:34:22     cri    

放送時間:8月2日  午後15:30

中国でゼロから創り上げてきた「私」

               ーー女優 鈴木美妃さん

 【鈴木美妃(すずき・みき)】

 樽華国際文化伝媒会社所属女優。

 1980年静岡生まれ。本名鈴木奈央。1991年ミュージカル「アニー」で主役を務め、評判となる。1994年(14歳)東京の舞台で「奇跡の人」のヘレン・ケラー役を演じる。2004年に映画「ワイルドフラワーズ」で主演。2006年から北京滞在。中央戯劇学院で演技を学び、その後中国で女優として活動し現在に至る。代表作に「神断狄仁傑」と「伝奇福貴人」など。  

 北京郊外の巨大なスタジオ。下駄の音が響き渡る。真っ赤な和服を身に付け演技する日本人女優がいる。セリフはもちろん中国語だ。女優の名は鈴木美妃さん。日本では5歳から役者を始め、ドラマ、映画などで活躍し、「天才」との呼び声もあり、期待もされていた。しかし2006年に突如北京へ。中央戯劇学院に2年間留学し、中国で役者を続ける道を選んだ。あれから7年。今の鈴木さんはこれまでの道をどう振り返っているのか。

 ■ゼロからスタート

 歴史ある古い街にある胡同で生活し、自転車で散策するのが好きだ。地元の友だちも多く、近所の人たちとも仲がよくて、もうすっかり中国の生活に馴染んでいる。日本での仕事は順調だったし、将来も期待されていた。家族すら疑問に思った中国行きにはある決断があった。

 ――日本で期待された若手女優がどうして突然中国へ?

 日本で暮らしていた時も、私にとって中国は一番身近な国でした。近所に中国人が多く、仲の良い友だちもいたからです。ある時、こんなに近い国なのに中国のことを何も知らない自分に気付きました。ずっと行ってみたかったし、もっと知りたいと。

 それに日本で役者をしている自分の先が見えてしまった。常に変わらない、平行線上にいる自分に疲れました。私は歳を重ねるにつれて変わって行くのに、周りの要求やイメージは変わらないと感じ始め、そのギャップとプレッシャーが嫌になったんです。逃げられるものなら、オリンピック選手並みに全速力で逃げてみようと。役者という仕事を続ける上で、一度自分をまっさらにして、全く知らない場所、全く自分を知らない人たちに囲まれて、ゼロからスタートしたかった。実際来てよかったと今では思っています。

 ■中国の役者が持つタフさや柔軟さ

 中国での出演作品はすでに10本以上を数える。今では撮影現場で、監督や出演者らと一緒に談笑したり、冗談を言い合ったり、リラックスすることもできるようになった。これまでの作品の中で最も印象に残るのは、敦煌の砂漠で4カ月間にわたって撮影した「神断狄仁傑」だという。鎧を着て馬に乗り、戦闘シーンを演じる自分が新鮮だった。自分が中国で強くなっていくことを実感したという。

 ――中国での生活にすぐ慣れましたか?

 中国語はわからなかったけれど、戸惑い、苦労、そういったマイナスの経験は全くありませんでした。何を見ても、何があっても楽しく、全てが新鮮でした。ビールの缶の文字が全部中国語だということだけで、ニヤニヤしたりして。人の反応の違いも見ていて楽しかった。例えば日本の店だと、店員には客への対応のマニュアルがあって、決して「個人」は表面に出て来ない。でも中国で店員を見ていると、気分が良い時、悪い時がすぐ分かるし、「個人」そのままだなと。型にはまらない感じが面白かったです。

 ――留学で何を学びましたか?

 日本では現場での叩き込みのみで、基礎から演劇を勉強した経験はありませんでした。中国の役者志望の人たちがどう学び、下積みを過ごすのか、一緒に体験できて大変勉強になりました。私よりずっと若い同級生に混じって、朝からランニングしたり、夜遅くまで練習したり、彼らに引っ張られて、心が若返りました。まだ社会でもまれていないからこそあるキラキラとした輝き、彼女たちにしかない強さが印象的でした。私も一度振り返ってみないと、忘れていたことだと思います。留学生活は、本当の意味でゼロからスタートする良いきっかけになりました。

 ――中国で最初の役者デビュー、戸惑いはありませんでしたか?

 在学中に、愛新覚羅溥儀の弟の妻である嵯峨浩を演じたドラマが、最初の仕事でした。日本の貴族の家に生まれ、国を越えて政略結婚させられ、波瀾万丈な人生を送った女性です。現場で話している言葉も分からず、中国語のセリフを丸暗記しても、現場で変更やカットされる。何がどう変わったのか、カットされたのかさえ分からず、毎日頭の中はもうパニック状態です。日本語と中国語では表現の仕方も違い、消化できていない言語で表現するのはきつかったですね。当時は結構打ちのめされました。ひと言しゃべるだけでも緊張ですから。最初に大きな衝撃を受けて、勉強になりました。

 ――中日の撮影現場の違いはありますか?

 何から何まで違います。例えばセリフなどをアフレコ(画面だけを撮影し、後からセリフや音などを録音する)で収録するドラマの撮影では、現場で携帯電話が鳴ろうと、ほかにどんな音がしようと、関係なく撮影します。始めの頃はまだ慣れなくて、携帯電話の音に「ビクッ」としてNGを出してしまうこともありました。セリフが長い役者には後ろでセリフを読む人がいて、それを役者本人が繰り返す。びっくりしました。役者本人がセリフを言う前に、他のところからセリフが聞こえてくる。これに慣れるにも時間がかかりました。

 日本ではドラマは12話ほどで終わりますが、中国では30話以上が普通です。中国の役者は柔軟性があってタフですね。集中の仕方が違います。日本では、現場は神聖な感じで、みんなで緊張感を高めていきますが、中国の場合は緊張感を高めていくと同時に、違うことも考えられるという感じです。

 現場がやりやすいようお膳立てにしてくれる日本に慣れていたため、中国に来て何もできない自分に気づきました。助けが全くない状態で、どれだけ自分の世界を作れるか。それを中国の役者に学びました。環境に左右されないタフさや柔軟さ、それがたぶん日本人の役者に欠けていることかも知れません。

 

 ■中国で刺激的な毎日を

 ――これからの目標は?

 中国でもう少しがんばれる、もうちょっとやってみたいと思っています。中国での私は本当に自分一人でゼロから創り上げてきた「私」。日本では、親がいて、昔ながらの付き合いがあって、それありきの自分であり、中国にいる私自身とはちょっと違う。中国にいる自分のほうが、愛があって、私は好きです。どこを目指すなど、目標を持たない人間なので、目の前のことを着実にこなすことで精一杯です。

 ――10年後は何をしていますか?

 きっと中国とは離れてないと思います。世界のどこにいても、中国との関係はずっと続いているでしょうね。この7年間、中国は私の人生に大きな影響を与えてくれました。10年後、関係がもっと濃いものになっているかもしれない。役者生活がこのまま続き、中国で刺激的な毎日が送ることができればうれしいです。もしかしたら小説家になったり、家庭を築いたりしているかもしれません。全てはなすがままですね。(劉 叡)

【一言問答】

1.中国の印象を3つのキーワードで?

 人、人、人、とにかく人

2.ひと言でいえば中国はどんな国ですか?

 いろんなエネルギーが渦巻いている国

3.中国に来て、一番良かったことは?

 第2の故郷ができたこと。

4.中国に来たばかりの日本人にひと言アドバイスを!

 頭をとにかく柔らかくすること。こんにゃくみたいに、どんな衝撃が来ても跳ね返し、自由自在に形を変えられるような柔軟性を持っていると、たぶんこの国を楽しく感じられると思います。

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