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放送時間:7月26日 午後15:30
「活力の渦巻く国」で自分を伸ばす
ーーストリートダンサー 宮下匠規さん
【宮下 匠規 (みやした たくのり)】
ストリートダンサー、ミュージシャン、通訳
1979年兵庫県出身。2001年早稲田大学政治経済学部卒業後、中国伝媒大学に留学。
2004年北京テレビ局(BTV)のオーディション番組で優勝、その後BTVと日本国国土交通省の共同制作番組「YOKOSO JAPAN 国際双行線」でレポーターを務める。中央テレビや上海東方衛星テレビなどでも数々の番組に出演。2009年中国のヒップホップアーティストと共にボーカルユニット「龍者」を結成、映画「精舞門2」のテーマソングを手がける。2012年7月から上海のトップモデルチーム「esee baby」の音楽プロデューサーを務めている。
北京西部のスポーツクラブ。4階でエレベーターを降りると、壁一面がガラス張りの教室がある。ヒップポップに乗って練習に励んでいたのは、定年退職者の女性からなる「武英老年街舞隊」の皆さんだった。
十数人のおばあちゃんダンサーズを前に流暢な中国語で指導している青年は、皆から「宮下老師!」と呼ばれている。彼の名は宮下匠規さん。日本人である。
10年前に北京での生活を始め、今はストリートダンスから歌、DJ、ファッションデザイン、そしてテレビ番組などの通訳やコーディネートなど、手広く活躍し、多方面に才能を伸ばしている。
彼は言う。「ダンスにせよ、音楽、通訳、ビジネスにせよ、どれもコミュニケーションのツールです。自分の中ではすべてが一本のラインで貫かれている。それが日中の友好で、私の一番やりたいことです」
■ストリートダンスで中国人社会に溶け込む
「武英老年街舞隊」との出会いは、4年前に参加したテレビのオーディション番組の現場だった。その後、彼女らにダンス指導を頼まれ現在に至っている。
「おかげで私たちのダンスは見間違えるほど上達したわ。感謝しています」
「先生とは言え、指導以外はわが子のようなもんですよ。年の差も国籍の違いも全然感じません。一緒に食事をして、歌って踊る仲良しです」
「私は実は練習はどうでもいいの(笑)。先生があまりに素敵なので、会いに来ているの」
カメラを向けられると、おばあちゃんダンサーズが必ず声をそろえて言うきめ台詞がある。
「宮下老師我愛你,就像老鼠爱大米」(宮下先生大好き ねずみが米を大好きなように)
一時中国で大流行していた歌謡曲から取ったフレーズだ。おばあちゃんダンサーズのパワーに気おされたのか、少し照れくさそうな「宮下老師」も、「我也爱你们!」と返した。
■ダンスで日中友好の促進に役立ちたい
ストリートダンスを好きになったのは、高校時代に人気のあったヒップホップグループDA PUMP(ダパンプ、1996年結成)の影響だった。大学在学中にダンススクールに通い、練習を続けた。留学先の中国伝媒大学では、ストリートダンスのサークル「DE」を設立し、自ら講師を務めた。翌年、中国大学生ヒップホップコンテストで優勝した「DE」は大学一の人気サークルとなり、いまも活動を続けている。
2010年、在中国日本大使館の支援の下、「日中ストリートダンス文化交流センター」を設立。中国人ダンスグループを引き連れ日本を訪問し、日本人ダンサーと共に四国、中国地方で巡回公演を行い、ストリートダンスでの中日交流を更に推し進めた。「ダンス交流を日中友好の促進に役立てたい」と、その思いはしっかりしている。
■始まりは恋の物語から
宮下さんの最初の北京行きは、高校時代の修学旅行だった。いま振り返ると、青春の甘く苦い思い出がよみがえる。
「北京に行く前に、学校の紹介で現地の高校生と文通を始めました。私の文通相手は、会ってみたらクラス一番のかわいい子で、その後もずっと連絡を取っていました。非常に意気投合したので、手紙で告白して遠距離恋愛を始めました」
大学進学後も休みを見つけては北京に来て彼女と会っていたが、二人の関係はその後、急展開を迎えた。
1999年12月。20世紀最後のクリスマスを一緒に過そうと北京にやってきた宮下さんに、寝耳に水のような言葉が彼女から伝えられた。
「もうすぐ大学を辞めてニュージーランドに行くの。一緒に行かない?」
あまりにも突然切り出されたので、驚いた彼はしばらく考えてみたが、「僕はやっぱり中国が好きだ。ニュージーランドに行く気にはならない」と返事をした。
「それなら別れよう」
呆気なく恋は終わってしまった。
日本に帰るまでの2週間をバナナと牛乳だけで過ごし、げっそり痩せた。傷心のあまりやる気も失った。だが「これがチャンスかも」と思い直すところがB型のおひつじ座らしい。新しい目標を決めた。それは大学卒業後の北京留学だった。
電話帳を見て大学に電話をかけたが、元旦の連休のため、どこもつながらなかった。唯一つながったのが中国伝媒大学だった。タクシーを飛ばして駆けつけ、「2年後に絶対に戻ってくるから、ぼくの名前を忘れないでください」とポストイットに名前を書いて壁に貼ってもらった。
「2年後に戻ってみると、まだちゃんと貼ってありました。すごく感激しました」
■音楽作りや中国語講座の開設にも精を出す
持ち前の明るさと外向的な性格から、宮下さんの回りには自然と人が集まり、友人の輪もどんどん広がっていく。だが彼のすごさは、友達作りをスタートに新しいものを次から次へと生み出すところにある。
北京で有名なクラブMCと友人になったことをきっかけに、ヒップホップ系ボーカルユニット「龍者」を結成した。作詞作曲にレコーディング、ミックスと全て自分たちの手でやる。これまでにすでに8曲をリリース、メディア用にアルバムも2枚制作された。曲は地球環境や東日本大震災などにちなんで作られており、ダンス性とメッセージ性を兼ねそろえたユニークな曲風に仕上がっている。
好奇心と行動力もまた彼の強みだ。
中国語学習は「一気に13億の中国人と友達になれる」幸福なことだという。その幸せをもっと多くの人と分かちあいたいと、自らの学習体験を盛り込んだ自作自演の動画番組「ガチンコ中国語講座」を去年からインターネットで公開している。
「普通の授業では学べない時事問題や、旬の流行語、日本人が苦手な発音の矯正などを取り上げています」
視聴者は日本人がメインだが、中国人もいる。「こんな教え方もあるのか」「分かりやすい!続けてください」という感想を目にし、「すごくうれしいですね」と誇らしげに微笑んだ。
■北京から世界へ 大きく羽ばたきたい
この9月で、中国生活11年目に突入する。これまでの10年間を「好奇心に任せて、クラブの広告デザインをしたり、帽子や服をデザインして作って自分の店舗で販売したり、マッサージ屋を開いたこともある。様々な人と出会って、成功と失敗を繰り返し、勉強しながら過ごしてきた」と振り返る。
楽しいことばかりではなかった。仕事でだまされたり、無責任な態度を取られて逃げられたりしたこともあり、本気で日本に帰ろうかとも思った。しかし、そこから中国の魅力も感じた。
「『この人は1回失敗したからダメだよね』というのではなく、『次があるからいいんじゃない』と皆で応援しながら前へ進むところが好きですね。三十にして立つ、と孔子の言葉にもある通り、これからの10年は今までの経験を土台に物事を自分の形にしていきたい」と話す。北京ででき上がった「自分」をベースに、今後は台北やニューヨークにも活躍の場を広げていきたいと意気込んでいる。
当分まだ中国暮らしが続くという宮下老師。今後の道のりも順風満帆とは限らない。しかし、B型のおひつじ座のことだから、今まで育んできた様々な芽を伸ばし、大木にしていくよう全力投球するに違いない。 (馬玥、王小燕)
【一言問答】
1.一言で言えば、中国はどんな国ですか?中国人は?
中国は得体の知れない活力の渦巻く国。
中国人は人間味があってかわいい。
2.中国の印象を3つのキーワードで表すなら?
原始、欲望、小宇宙
3.中国に住んでいて、一番良かったことは?
世界で最も注目を集める国の変化をこの目で見られたこと。そして、日本人も中国人も言葉が違うだけで考えていることはみんな大体一緒だとわかったこと!
4.10年後はどこにいて、何をしていると思いますか?
10年後は中国、日本、アメリカなどを中心に世界中飛び回り、そのとき一番面白いと思うことをしています。
5.中国に来たばかりの日本人に一言アドバイスを。
中国はやりたいことを皆がひがむことなく応援してくれる国です。前進あるのみです。そして一生続くような友達を見つけてください。楽しんでがんばって!
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