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放送時間:7月26日 午後15:30
北京で「幸せ」をデザインする日本人
--ウェディングプランナー 中原美欣さん
【中原美欣(なかはら・みよし)】
"美欣婚礼策划"ウェディングプランナー。
1982年東京に生まれる。1993年父親の仕事の関係で北京へ。2004年北京大学中国語学部卒業後日本に帰国し、トヨタ自動車に就職。2008年ウェディングプランナーの資格を取得し北京に戻る。北京で日系ブライダル企業に勤めた後、2010年に独立、現在に至る。
ウェディングプランナーの中原11歳で両親と共に北京にやって来た。美欣さんはその名前の通り美しく優しい女性だ。
2歳からバレエを始め、中国に来てから中国バレエ団で学んだこともある。生まれつき人とのふれあいが好きで、パーティーの企画やデザイン、ファッションが大好きだったことから、一生の仕事としてウェディングプランナーの道を選んだ。
日本語と中国語の他、英語、韓国語が堪能で、中国人カップルだけでなく外国人カップルの結婚式のオファーもよく受けている。
■ 中国での暮らしは11歳から
――初めて北京に来た日のことを覚えていますか?
日本から犬を連れてきたのですが、その頃は今のようにペットを入国させる際の面倒くさい手続きがありませんでした。飛行機を降りてから預けた荷物が出てくるのを待っていると、我が家の犬がケージに入って出て来たんです。それを見た他の中国人は随分と驚いていたようです。それをよく覚えていますね。
――最初に中国に来た時の印象は?
ビルや、天安門広場など何もかもが大きい!また、大陸は乾燥していると感じました。
――中国で暮らすことが決まった時の気持ちや周囲の反応は?
父がずっと中国とかかわる仕事をしていたので、香港と台湾には行ったことがありました。でも大陸は初めてだったので、「やっと大陸に行ける」とワクワクしました。小学生の時ですから、周囲の反応は、飛行機に乗って遠い外国に行くというイメージで、一生会えなくなるのではないかと思われたようです。
――大学卒業後の最初の仕事は何ですか?
北京大学を卒業後、日本に戻ってトヨタ自動車に入社して、物流関係の仕事をしました。天津工場立ち上げのプロジェクトに3年ぐらい携わった後、広州工場のプロジェクトがスタートすることになったのですが、5年後の自分のことを色々と考えて、新しいプロジェクトが始まる前に決断して、北京に戻りました。北京に戻った2008年にウェディングプランナーという仕事に出会ったんです。その時プランナーの資格を取ろうと決めて、再び日本で半年ぐらい勉強しました。資格を取った後、2009年から北京の日系ブライダルコンサルディング会社に勤めました。今は自分の会社をドライバーを含めて5人でやっています。
■ 一生できる仕事をしたい
――なぜ北京でウェディングプランナーの仕事を選んだのですか。
仕事はどこでもできるけれど、家族とは北京でしか時間を共にできません。そう思って北京で自分が一生できる仕事は何かと考えました。
すると、例えばドレスとか、キャンディとか、お花とか、そういう物と関わっていたいって気付いたんです。小さい時からパーティーをやったり、家族のためにバースデーパーティーの飾り付けをしたりするのが好きだったので、イベント業をやりたいと思いました。でもイベントより結婚式のほうが夢があるし、より興味があったので、ウェディングプランナーになりました。
――この仕事の醍醐味は?
たくさんの方に巡り合うことができることです。アナウンサーだったり、学生だったり、アメリカ人や、ブラジル人、ロシア人だったり、本当に色々な方に出会うことができます。そういう人と友達にもなれるところがまたすごく楽しいです。それに人の幸せに関わる仕事なんです。結婚式って、二人の愛だけではなくて、家族とか友達とか、とても大きな愛が一つになって祝福をする。そういう仕事はたぶん他にはないと思います。だから私はこの仕事が大好きです。
――お客さんはどこで美欣さんの会社を知るのですか?
ほとんどは友人からの紹介です。信頼関係から御紹介いただいていると思います。以前のお客さんからの紹介もあります。自分の仕事に精一杯ちゃんと向き合ってよい仕事をし続ければ周りに認められるので、お金や名誉というものは後からついてくるものです。外国人のお客さんの多くはホームページを見て来てくれます。広告はしていません。
■ 北京での生活に満足している
既に20年ほど北京で過ごしてきた美欣さんは、北京の急速な変化を体験すると共に、その生活を楽しんできた。たくさんの出会いがあっただけでなく、様々な価値観や文化にも触れてきた。そうして生まれた独特の価値観が人生の財産となっているという。
――余暇はどんなふうに過ごしていますか?
料理が好きですね。仕事が忙しいときでも、少なくとも週に2回は自炊をしています。得意料理は牛肉面。日本料理は天ぷらや簡単なカレーも作ります。
北京ではスーパー以外では買い物はしません。食品を買いにイトーヨーカドーに行きますが、洋服などは米国で買っています。夫の両親が住んでいますから、毎年米国に行きます。
――美欣さんは北京に20年近く住んでいますが、北京がちょうど急ピッチで変化した時期でもありますね。
1993年に私が北京に来たばかりの時は、コーラや、スプライトはまだペットボトルではなく瓶に入っていて、飲んだらその場で瓶を返さなければならないという時代でした。それからアイスクリームも、今だったらハーゲンダッツとかバスキン・ロビンスとか、色々な種類の物がありますが、その当時はありませんでした。でも考えてみると、まだ20年しか経っていないんです。去年なかったビルが今年は建っているし、自分の成長を考えても変化が速いし、かなり変わったと思います。
――中国に来てたくさんの出会いがあったようですね。
大勢の友達をはじめ、夫にもめぐり合うことができました。インターナショナルスクールに通っていたので、今でもたくさんの国の色々な友達がいます。様々な価値観や文化に触れることができ、そこから自分の価値観が生まれてきたと思うし、私にとっては財産になっていて、仕事にも役立っています。
――同じ年齢の日本人と比べて独特な経歴を持つ美欣さんですが、それがストレスになることはありませんか?
ありません。私は色々な人と触れ合い、様々な経験から独自の価値観を持っています。考え方が日本人や中国人と違うところがたくさんありますが、それは別に悪いことではないと思います。逆に冷静に様々な物事を見ることができるようになりました。
――最後に、美欣さんの人生の中で北京での仕事や生活から得た一番の収穫は?
この土地の人と触れ合い、この土地の物を食べ、この土地の文化活動に参加することで、この国をより理解することができたことです。日本の習慣を押し付けるだけではビジネスとして成功しません。決して簡単なことではないですが、表面上の「友達」ではなく、喜怒哀楽を共にできる友達を持つことが大切だと思います。中学時代の友人の何人かが今も北京に住んでいるのですが、その中の1人の結婚式を担当しました。友達の人生の大切な日を一緒にプランし携わることができた自分はすごく幸せです。そんなことを実現させてくれたのがここ北京なんです。 (沈園)
【一言問答】
1.一言で言うと、中国はどんな国ですか?中国人は?
変化が速い国、情が深い人たちです。
2.中国の印象を3つのキーワードで表すなら?
①変化が速い
②スケールが大きい
③ご飯がおいしい
3.中国に住んでいて一番良かったことは?
たくさんの人と出会え、様々な価値観と文化に触れられたことです。
4.10年後はどこにいて、何をしていると思いますか?
10年後は自分の家族と幸せに暮らし、ウェディングプランナーを続けていたいと思います。
5.中国に来たばかりの日本人に一言アドバイスを。
積極的に中国の方の考えや気持ちを聞くこと。また、中国の方とつきあい、友達になってください。
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