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精魂込めて作る おいしいタコ焼きを中国人に 視聴へ

2015-07-15 19:43:27     cri    

精魂込めて作る おいしいタコ焼きを中国人に

               ーー飲食店経営者 由井孝慶さん

 【由井孝慶(ゆい たかのり)】

 上海のたこ焼き店「尼章魚」の経営者。

 1980年大阪府豊中市生まれ。1998年兵庫県立西宮高等学校卒業後、日本で会社員として勤務。2005年出張で上海を初訪問。08年会社を辞め上海に。10年まで上海東華大学で語学留学。その傍ら09年たこ焼き「尼だこ」を創業し、今日に至る。

 日本料理店が立ち並ぶ上海の下町、張虹路。

 その一軒の軒下に、こぢんまりとした日本のたこ焼き屋がある。広さはわずか2平方メートルほど。テーブルは3つしかない。赤文字の看板には「尼章魚(AMADAKO)」と書かれている。

 

 その店先で、体感温度60度にもなるコンロを前に一心不乱にたこ焼き作りに励む男がいる。彼はたこ焼きを1つずつ丁寧に返していく。

 作りはじめて15分。芳しい匂いと共に熱々のたこ焼きが皿に載せられて目の前に現れた。

 「すごくおいしい!たこ焼きは大阪で一度食べたことがあります。これは本場の味ですね」

 爪楊枝でたこ焼きを口に入れながら、20代の客がこう感想をもらした。それを聞き男の日焼けした顔には「やった!」と笑みが浮かんだ。

 「店は小さくても、夢は大きい」

 このように話す大阪人の由井孝慶さんは、上海でのたこ焼き店経営にどのような思いをかけているのか。現地で取材してきた。

 ■同郷の夢のかけらを我拾う

 「大阪ではたこ焼きは家庭でも普通に作る料理ですよ」

 そう言う由井さんも大阪人らしく、子どもの時から毎日のようにたこ焼きを食べ、いつか自分のたこ焼き店を作るのが夢だったと言う。

 大阪発祥のたこ焼きは、上海万博での屋台出店を始め、最近中国でもあちこちに店が見られるようになった。そんな中でも「本場の大阪の味」とされるのが、ここ由井さんの店だ。

 ――そもそもなぜ上海でたこ焼きの店を作ろうと思ったのですか?

 上海留学中にアルバイト先の日本人社長から「たこ焼きの器材一式を譲りたい」という日本人を紹介されたのがきっかけでした。その方は兵庫県尼崎市の生まれで、私も昔3年ほど尼崎に住んでいたので、意気投合してその場で買い取りを決めました。

 譲ってくれた方は「尼崎のたこ焼きを上海で売って食べてもらうんや」と夢をもって上海に来たのですが、約半年で帰国を決めてしまいました。「半年じゃあきらめが早い」とも思いますが、彼は上海に来る前に父親と約束をしていたそうです。「自分の実力が及ばなければあきらめる」と。

 引き際のいい人だなと思いながらも、脳裏によぎる一句がありました。「同郷の 夢のかけらを 我拾う」。その後、私は「尼だこ」を屋号に彼の未完の夢を背負ってたこ焼き屋を始めたわけです。なんたって大阪人なので、腕には自信がありますからね。

 ――今の由井さんにとって「たこ焼き」とは何か、そこに寄せる特別な思いは?

 たこ焼きは今の私にとって上海生活の全てです。

 物心がついた頃からたこ焼きを食べていた自分にとって、上海でたこ焼きを通じて中国の皆様とのつながりを実感できるのはうれしいことです。

 たこ焼きは丸いです。大阪人は丸いものを好みます。円満に通じるからです。それに、昔の人は霊魂を「たま」と呼んでいました。「魂(たましい)」の意味です。丸いたこ焼きを私は1つ1つ、「魂(たましい)」を込めて焼き上げます。作っている自分たちも、食べてくださったお客様と幸せなひと時を共有できるよう努力しているんです。

 ■上海で暮らしてみたい!

 いつもニコニコしている由井さんが初めて上海に来たのは2005年だった。中国内陸部への出張のため上海は経由地で、わずか1泊しか滞在しなかった。だがまるで一目ぼれしたようにこの町が好きになり、通う回数が増えるにつれ「いつか暮らしたい」と思うようになった。

 あと2年で30歳になるという08年、由井さんは人生の決断をした。日本での仕事を辞めて語学留学のため上海に来たのである。

 ――初めて上海に来た時のことは覚えていますか。

 2005年、日本で働いていた私は取引先の方に同行して、初めて中国に来ました。出張先は湖南省で、上海経由で行きました。その時わずか1泊の滞在でしたが、上海の町の活気に圧倒されました。南京路辺りを歩いてみると、現代的であると同時にレトロな雰囲気も漂っている。人も多く勢いを感じました。この上海という国際都市に何かしらの可能性が潜んでいると肌で感じて「また来たい」との思いに包まれました。

 ――観光と居住とは、やはり色々感じることも違うかと思いますが、実際に暮らすようになってから感じたことは?

 出張をきっかけに上海の街のエネルギーに魅せられて、その後私はプライベートでも年2,3回訪れるようになりました。そうこうしているうちに上海に住みたくなり、2008年、日本の仕事を辞めて上海で暮らし始めました。

 来る前に1カ月だけ中国語を勉強しましたが、ピンインしか学ばなかったので、中国語も話せませんでした。そのためタバコを1箱買うにも苦労しましたね。その後、08年から10年まで東華大学に留学して、中国語をきちんと勉強しました。留学2年目から自分の夢を追いかけてたこ焼き屋の仕事を始めました。

 ――店の営業は生易しいことではないようにも思いますが…

 おかげさまで、今、経営は順調に行っています。店が狭く、お客さんにゆっくり座ってもらえないので、持ち帰りがほとんどです。一番混雑するのは午前11時半からと午後5時過ぎの時間帯。常連さんだけでなく新しいお客さんもどんどん増えています。おかげで売り上げもどんどん伸びています。また様々な方の口に合うように、ソースマヨネーズ味と七味マヨネーズ味の2種類を作っています。ソースマヨネーズ味は甘めの風味なので、日本人、上海人、台湾人の間で人気があり、七味マヨネーズはピリ辛なので中国の地方出身の方々に人気ですね。

 ■上海からスタートした夢 一歩ずつ前進へ

 今は他人の店の軒下を借りて営業している由井さん。取材の最後に「うれしいニュース」を聞かせてくれた。それは自分の店がまもなく完成することだ。上海という大きなステージを出発点に、大阪男児は大きな夢を着実に描き続けている。

 ――今後のビジネス計画は?

 今の出店はバーのすぐ隣でやっているので、夜まで営業を続けるとバーのお客さんが入れなくなり、駐車スペースもなくて困ると苦情が来ます。だから午前10時から夕方6時までしか営業できません。場所も狭いので、お客さんにゆっくり座って食べてもらうこともできません。

 そういう事情から「桂林路」で新しい場所を見つけました。今営業している団子屋の一部をたこ焼き屋にし、団子屋と一緒に営業することになりました。新店舗は9月から営業を始めます。今度の店は数十平方メートルもありますしフルタイムで営業できるので、もっと多くのお客さんに来てもらえると思います。

 今後は慎重に事業計画を練りながら、規模をどんどん拡大していきたいですね。

 ――上海に行くという人生の決断を今どのように振り返りますか。

 「上海なんか来なければよかったのに」と思ったことは一度もありませんね。夢は店を大きくして、たこ焼きのチェーン店を作ることです。上海で進むべき道が見つかり夢に向けて一歩ずつ前進している今の自分は、日本でサラリーマンをしていた頃の自分とは、比べものにならないほど充実しています。

 ――最後に10年後、どこにいて、何をしていると思いますか。

 正直、家族のこともあるので、これから上海にとどまるか、日本に帰るか、あるいは行ったり来たりするか…。どんな形であれ、上海でのたこ焼き屋経営は続けていきたいと思います。

 10年後? どうなっているんでしょうね。まあ、時の流れに身をまかせれば良いのではと思います(笑)。 (馬健)

【一言問答】

1. 一言でいえば、中国はどんな国ですか? 中国人は?

 5000年の歴史を持つ広い国。中国人はものすごく元気で、声も大きいです。

2.中国の印象を3つのキーワードで表すなら?

 カンフー、パンダ、チャーハン

3.中国に住んでいて、一番良かったことは?

 毎日たこ焼きを焼かせてもらっていることですね。

4.中国に来たばかりの日本人に一番伝えたいことは?

 自分にできると思えばとにかく実行することです。中国に来た目的はそれぞれあると思いますが、その目的に向かって常にアンテナを張って、日々の生活を送ってください。

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