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日本の家庭料理の味を中国の若者に(視聴へ)

2015-07-15 19:30:03     cri    

日本の家庭料理の味を中国の若者に

            ーーケーキ職人 徳本雪絵さん

 【徳本雪絵(とくもと ゆきえ)】

 料理教室講師。

 1975年長崎に生まれる。大学卒業後、福岡での料理教室勤務を経て、2008年6月に北京へ留学。現在、独自ブランドの「KOLOU KITCHEN」で北京のカフェや飲食店にハンドメイドのケーキを提供している。

 「北京のケーキって、美味しくなってきましたよね」

 ケーキにうるさい日本人が最近そう漏らすようになっている。そんな中、「胡同」(横丁)に住みながらケーキ作りに励んでいる日本人がいることを聞き、尋ねてみることにした。

 北京旧市街地のランドマーク、鼓楼。その付近には、昔ながらの胡同が広がっている。細長い路地の奥に「徳本・岩田」と木の札が掲げられた観音開きの門が見える。

 扉を開けて中に進むと、小さな中庭付きの長屋がある。ケーキ職人の徳本雪絵さんとご主人の岩田三四郎さんはここで北京の春を3回過ごした。広さ70平方メートルほど。必要な家財道具はそろっているものの、余計なものは見当たらず、すっきりした空間だ。

 応接間から寝室に入る廊下は台所に改造されている。広くはなく、設備も取り立てて豪華なわけではない。ただ目立つのは、大きめのオーブンが据えられていること。数日前にいただいた「KOLOU KITCHEN」(鼓楼キッチン)のパウンドケーキの味が蘇り、ここがそのキッチンなのだとうなずいた。

 見学しているうちに、応接間からウーロン茶の芳しい匂いが漂ってきて、色とりどりのケーキが並べられた。ソファの向こうは、ガラス越しに庭が広がる落ち着いた景色。私たちはゆっくり「おいしい」話に耳を傾けた。

 ■美味しいケーキは「鼓楼キッチン」」から

 朝8時、雪絵さんは起床と共にケーキ作りに取り掛かる。生地の準備から出来上がるまで3時間ほどかかる。出来上がったケーキに丁寧にナイフを入れて、一つずつラッピングし、友人がデザインしてくれた「KOLOU KITCHEN」のシールを張る。これでケーキ作りの作業は一通り終わり、自分の手で店に届ける。届け先は市内の3,4カ所に分散しており、近場は歩いて届けるが、遠いところはバスか地下鉄を使う。「生クリームを使っていて形が崩れやすいもの」はタクシーで届ける。

「みんなから『要領が悪いね。宅配便を使ったほうが良い』と言われているけれど、手で渡したほうが食べていただいた方の顔も見えるし、色々話をしたり、たくさんの情報が聞けたりするので楽しい」

 家から一番近い店は、徒歩10分ほどの南鑼鼓巷にある。日本風の定食を出すこぎれいな食堂だ。三角に切られた各種ケーキは1個25元で提供されている。

「ここの店、なんと言ってもデザートがおいしい」

 常連だけでなく、ミニブログで噂を聞きつけて訪れる客も多い。

 雪絵さんは材料の買出しから売り出すケーキの種類の提案、そして作って届けるまで、すべて1人でこなす。ケーキは店からの注文を受けて作る。得意先は若者やホワイトカラーが多く集まる市内のカフェとレストラン。

 自分1人の手作業のため、毎月多くても100個ほどしか作れない。ある程度の収入にはなっているが、安定したら「助手を雇って作る」ことも考えている。だが、今のところ経営の拡大よりも、ケーキ作りを通して北京とかかわりを持つことを楽しんでいる。

 ■北京での運命的な出会い

 2008年6月、北京五輪の開催まで後2カ月となったその日、海の向こうの福岡で料理教室に勤務していた徳本雪絵さんが決断した。北京へ行く!

 「海外にはいつか住みたいと思っていました。ミーハーなので、オリンピックの町に興味がありましたし、アジアでの開催は今回で3回目ですが、これを逃したら次回はいつになるか分からないし」

 幼い頃長崎で8年間暮らしたことがあり、父親は中国語が好きだった。大学所在地の下関は中国近代史と深いつながりがある。身近なところで「中国」を感じてきた。学生時代、短期の交換留学で台湾に行ったことがあるが、中国本土に初めて来たのはその3年前だった。北京はスピーディーに移り変わっていく近代都市の顔を持つ一方で、時間がゆったり流れる胡同もあって、好きな町だった。

 留学先を胡同の中にある中央戯劇学院に決めた。オリンピックの試合は何度も見に行き、満足のいく体験ができた。

 ところが1年ほどで帰国すると考えていた雪絵さんはその年の末、運命的な出会いを果たす。日本人留学生を中心に企画されたドキュメンタリー映画の交流活動で、実行委員会の一員として彼女は食事提供係となった。差し入れをした手料理のカレーライスはあまりの美味しさに皆から絶賛された。中でも特に心を強く打たれたのは、まだ顔を合わせたこともない企画者の岩田三四郎さんで、後に夫となった。岩田さんは北京を拠点に映像制作の仕事をしているため、2人のめぐり合いは雪絵さんにとって、北京を拠点にした新生活の始まりを意味した。

 ■私のケーキを食べてください

「好きなところで好きなことをしたい。そう思って始めたのはケーキ作りでした」

 しかし、心細いこともあった。

 「北京は当時、あまりケーキの文化が発達していなかったので、どれぐらい受け入れられるのかわかりませんでした」

 何とか売れるようにしたい。しかし資金も人脈もない。突破口は自分で探すしかない。

 「色々な店をノックしました。私の作ったケーキを置かせてもらえないかと。なかなかうまく行かなくて、ようやくOKしてくれたのは国子監の売店でした。でも翌日行っても全然売れていない。ケーキには賞味期限があるので焦りました」

 奥に置かれたケーキを出して、細かく切って「皆さん食べてください」と自ら店頭に立って客を呼び寄せた。幸い好評を得て完売できた。

 その後、知人の紹介と推薦でターゲットを日本人オーナーのカフェに変え、少しずつ安定した注文が入るようになったという。

 いまや腕と味が業界から認められ、様々な店からケーキ作りの指導や新製品の開発に招かれ、オンラインで注文を受けるケーキ屋からも業務指導の依頼が入っている。

 「もともと商売上手ではないので、知らない人に売るというよりも、まずは知っている人たちにケーキを提供することからです。全て自分でこなすという過程がとても面白いです」

 ■ケーキを契機に 気さくな家庭の味で中日を結びたい

 時間があれば北京の町を食べ歩いておいしい物を探し、ご主人と映画を見に行っても食べ物のシーンばかりに気がとられる。そんな食文化のミーハーの雪絵さん、今はケーキ職人として知られているが、本当の夢は日本の家庭料理の教室を中国で開くことだと言う。

 「中国の若い人には日本の家庭料理に興味を持っている人が多い。対象者は嫁入り前の若い人。もちろん、嫁入りした後でもかまわないけど(笑)。今の若者は料理を作る時、化学調味料に頼りがちですが、本当の料理はそうではない。自然の材料だけで簡単に作れる料理がいっぱいあります。みそ汁に出し巻き卵、魚の煮物にパスタ…。少人数で良いので、楽しく料理を作る教室ができたらと思います」中華料理も研さんしている。

 朝食はご主人が胡同の売店から買ってくるお粥か豆腐脳(おぼろ豆腐)に油条(揚げパン)が美味しいし、マーラータン(麻辣烫)も新疆料理も大好物だと言う。

 「中国は場所によって料理が違うし、種類も多く、バリエーションがありますよね」

 餃子にトマトと卵の炒め物、そして北京の家庭で良く食べられている小麦粉を使った「麵食」の数々も、いつか日本に紹介したいと話す。

 中国と日本が国交正常化40周年を迎えるこの秋、雪絵さんには第一子が生まれる。

 「40年って長いのか短いのか。中国と日本の関係は、少なくとも私の周りではとても良いです。これからももっと良くなっていくと信じています」

 ケーキが契機となった、雪絵さんと中国との絆はこれからも太くなっていく。 (王小燕、王巍)

【一言問答】

1.一言で言えば、中国はどんな国ですか?中国人は?

 たくましくて生きる力がある。

2. 中国の印象を3つのキーワードで表すなら?

 活気 ・食文化 ・大きい!

3. 中国に住んでいて、一番良かったことは?

 日本と中国、両方の国のよいところがわかったこと。

4.10年後はどこにいて、何をしていると思いますか?

 日本と中国を行き来して食に関わる仕事をしていたい。 

5. 中国に来たばかりの中国人に一言アドバイスを。

 「書を捨て街へ出よう!」

 国同士の付き合いより、人同士の付き合いをすることをお勧めします!

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