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交剣知愛 剣道で中国の若者と知り合う(視聴へ)

2015-07-15 19:22:23     cri    

交剣知愛 剣道で中国の若者と知り合う

         --剣道錬士・七段 森田六朗

 【森田六朗(もりた・ろくろう)】

 北京・対外経済貿易大学教師(日本語、日本文化、日本歴史を担当)。剣道錬士七段。日本剣道連盟会員、中国剣道連盟(CKOU)北京段位審査会審査員。

 1944年島根県生まれ。小学2年生から剣道を始める。早稲田大学文学部東洋哲学専修卒業後、出版社に勤務、『月刊しにか』の創刊などを担当後、2003年に退職して北京へ。現在、北京で大学講師を務める傍ら、中国の若者に剣道を指導している。

 著書に『日本人の心がわかる日本語』(アスク出版)、共著に『北京探訪――知られざる歴史と今』(愛育社)など。

 大学が集中する北京市海淀区の大学生体育館。少し前までバドミントンやダンス教室に使われていたスペースに、夜8時になるとキャリーバッグを引いて若者たちが集まってくる。バッグの中身は、剣道着。実はこの体育館は、剣道団体「煉津舘」の剣道場になるのだ。面、小手、胴、そして自分の名前が書かれた垂などを身につける。足は、どんなに寒い時も素足のままだ。やがて、彼らは2列に並び、一礼すると2人1組の稽古が始まる。体育館中に気合いのこもった大きな声が響き渡った。

 意外なことに、中国の剣道人口は北京など都会を中心に4000人もいる。きっかけは日本のアニメやゲームだという若者を中心に、じわじわと剣道を学ぶ人が増えている。

 この日、30人ほどの剣士を指導していたのは日本人の剣道錬士七段、森田六朗さんだ。大学で日本語を教えながら剣道の道場に通う。今年68歳。日本の出版社での仕事を定年前に辞め、10年前に北京へやってきた。なぜ思い切って異国の地へ渡ろうと思ったのか。どのように北京で剣道を始めたのか。そして剣道を通して知った中国とは?

 ■剣道は「一生のもの」

 森田さんは、島根県の醤油醸造業の家で10人兄弟の末っ子として生まれた。鞍馬天狗や笛吹童子など時代劇映画を見て育った、チャンバラが大好きな子供だった。仲間と野原で暴れるだけでなく、ヒノキの板でふいた醤油蔵の屋根に上ってチャンバラを続け、地上で眺める母親をはらはらさせたりした。

 小学2年生のある日、その母親が町で海軍上がりの先生が剣道教室を開いたという話しを聞き、息子を道場に連れていった。それ以来「剣道は自分にとって一生のもの」になった。

 ■新しい世界を求めて北京へ

 定年まで5,6年あったが、会社を辞めて北京へ渡ったのは2003年、凍てつく雪の日だった。

 「毎日満員電車に揺られて会社に行き、会議の連続。仕事というよりむしろ人間関係から酒を飲み、夜遅く帰宅するというような日々が続いた。自分はこのままでいいのかという思いがつのっていきました」

 同じ頃に2人の兄が相次いでガンで亡くなった。兄たちの無念の人生を思い「遅かれ早かれ自分にも順番がまわってくる。ならば、やりたいことをやって死んだほうがましではないか」と開き直った。

 もともと森田さんの「第二の人生」計画には、大陸で暮らしてみたいというロマンがずっとあった。

 「高校の時から中国の古典文化に興味を持ち、大学の卒論では韓非子を取り上げ、出版社に入社後も漢字と中国文化にかかわる仕事をしてきました」

 企画した「漢字の故郷を訪ねる旅」で、甲骨文字が出土した殷墟のある中国河南省安陽市を訪問した。その際、痛感したのが「中国は来ないと分からない」ということだった。

 ■北京でも剣道をやれるとは!

 勤め先の中国対外経済貿易大学ではたった1人の日本人教師。ゼロから日本語を始める学生の指導は苦労が多いが、「いつも明るく元気な森田先生」を貫いてきた。

 一方、自分にとって「一生のもの」である剣道を中国でも続けたいという思いはあった。しかし、ためらいもあった。

 「中国では日本刀や剣道は軍国主義に結びつくものとされているのではないか。そう思っていました。だから日本人駐在員の何人かと肩身の狭い思いをしながら、ほそぼそと稽古するのが関の山だろうと考えていました」

 ところが、間もなく北京に中国人の主宰する剣道サークルがあることを知る。訪ねると若者たちが熱心に稽古に励んでいた。

 「打突が正確でない、足運びがバラバラなど問題点はいろいろでしたが、皆さんの真剣な姿に驚きました」

 早速、稽古に加わった森田さん。「中国の人々に剣道を教えられることに大きな喜びを感じ、それが自分の使命であるように感じました」と、その日の感動を熱く語る。

 ■剣道指導に明け暮れる北京生活

 今、森田さんは毎週北京市内の3,4カ所で教えている。夜が多いが、朝6時開始の日もある。文字通り、明けても暮れても剣道の指導をしている。

 「煉津舘」に通う人は20~30代の若者が多い。中でも女性の姿が目立つ。剣道を始めて2年になる20代の女性はテレビで剣道を知り、剣道の「強い精神性と意志を鍛えることができる」所にひかれて稽古に励んできたという。

 森田先生については「とても優しい先生です。堅苦しいお説教ではなく、いつも自らやって見せてくれます。間違えたら、とことんまで叩かれるのが怖いけど(笑)。とても丁寧に説明してくれます」と言う。

 ■交剣知愛 剣道で結ばれる若者との付き合い

 森田さんの手元に、花束を手にした新婦新郎にはさまれ背広姿の森田さんが写っている、思い出の写真がある。

 新婦は大学時代に剣道を始めた劉西西さん。北京で一番古くからの知り合いの1人だ。本職はインテリアデザイナーだが、3年前に中国本土の女性で初の四段を取った。新郎とも稽古で出会い、式の「証婚人(結婚立会人)」を森田さんに頼んだ。

 「誠に光栄なことですが、つらい役でもあります。娘を嫁に出す父親の気持ちがわかるような気がしました」

 これまでを振り返り「剣道を通じて、どれだけ多くの中国の若者たちと知り合いになったことか」と思いにふける。

 この10年間、中国では剣道の団体が増え、剣道人口も増え続けてきた。2005年、中国初の剣道段位審査会が北京で開催され、中国国内にいて段位審査を受けられるようになった。参加者は当初の十数人から、今は100人以上になり、開催地も北京から全土に広がった。森田七段にも全国から声がかかり、剣道行脚も始めている。

 一方、北京在住の日本人剣道愛好者と中国、韓国、欧米諸国の練習者との交流も行われている。2010年12月に開かれた、「日中少年少女剣道大会」では、50人ほどの中国人の子どもの中で最年少はわずか3歳。わが子の応援にやってきた若い両親の姿を目にして、感無量の思いがあったという。

 2010年秋、中日関係が冷えこんでいた時期に、学生剣道連盟の代表団が北京を訪問し、中国の学生たちと剣を交えた。

 「交剣知愛」。帰国後の学生たちから届いたメールに書かれていた言葉だ。

 「剣道はかくも人と人とを強く結び付けるものなのです」

 北京で剣道と共に歩んできた10年を振り返り、今週も中国人の若者の指導に奔走している森田さんだ。

 (王小燕、白昊)

【一言問答】

1.一言でいえば、中国はどんな国ですか?中国人は?

 大国です。

 中国人は「随便(気まま)」な人が多い。(良くいえば大らか、悪くいえばいい加減)

2.中国の印象を3つのキーワードで表すなら?

 地大、物博、人多

3.中国に住んでいて、一番良かったことは?

 日本に比べて、のんびりして自由に生きられるとこいうところがあります。

4.中国に来たばかりの日本人に一言アドバイスを。

 日本人の基準で中国を見ないということが大事です。

5.このほか、中国の教え子たちや10年も暮らしてきた中国に伝えたいこと。

 中国は歴史的にも、経済的にも大国です。人も歴史ある国らしく、度量のある大人(たいじん)になってください。

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