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中国スタイルで「日本」を発信(視聴へ)

2015-07-15 17:22:28     cri    

中国スタイルで「日本」を発信

              --日本人留学生 村松文也さん

【村松 文也(むらまつ ふみや)】

 北京日本人留学生社団代表。

 1988年大阪生まれ。2006年から北京留学を始め、北京大学付属の予科班を経て、09年に北京大学国際関係学院の国際政治学部に入学。北京日本人留学生社団(B.J.S.A)の代表、北京大学日本人会の顧問などを務め、日中文化祭や夏祭りなどの友好イベントを開催している。

 北京の大空に鳴り響く和太鼓の音色、広場一面の赤ちょうちん、浴衣をまとい盆踊りを楽しむ人々、異国の地で日本の夏祭りが見事に再現された。「北京日本人留学生社団(B.J.S.A)」が企画、主催した夏祭りのワンシーンだった。この団体の代表を務めるのは現在北京大学留学中の浪花っ子、村松文也さん。

■インターナショナルな中国で自分に挑戦

 中国の名門校である北京大学。教室の一番前の席には真剣なまなざしで授業を聞く村松さんの姿があった。中国語による授業の内容を不自由なく理解し、中国、トルコ、日本など様々な国の学生とも活発に議論を交わしている。勤勉で、何事にも前向きに取り組んでいる学生だ。

――中国留学のきっかけは何ですか?

 私の高校には、中国語の選択科目があって、先生は北京大学出身の中国の方でした。高校3年の時にその先生の案内で一度北京大学に来ました。その際にいろいろ見て、また、国際文化祭が毎年開かれていることも聞き、日本の大学よりも国際色豊かだと思って、ぜひこの大学で勉強をしようと留学を決意しました。

 日本の大学に入ってから、中国に交換留学をするという選択肢もありました。でも、先輩の様子などを見ると、日本にいても自分は遊んでしまうのではないかと思って。それだったら一層のこと北京で、ゼロからスタートして、自分に挑戦しようと思いました。

――いざ北京に来て、留学生活を始めましたが、すぐなじめましたか?

 最初は後悔しました。言葉が通じないので何も話せないですし、最初の3カ月は学校と宿舎の行き来だけで、買いものすら怖かったです。その上、タクシーにはだまされるし、自転車は盗まれ、それもタイヤだけ盗られたりして、本当に辛かったです。こんなに「えぐい」ものなのかと思いましたね。その当時は頼れる人がほとんどいませんでした。

 半年から1年ぐらい経ち、中国語が話せるようになってから生活が変わりましたね。割合に何事も積極的に参加するようにしていたので、留学生活が楽しくなってきました。

――ところで、6年の留学生活のうち、語学学校に3年間も通っていたようですね。

 いろいろ挫折があって迷いましたよ。本当は2年で本科に行けるはずでしたが、試験に受からなかったのです。語学学校に3年間在籍するというのは大学の規則上では許されず、帰国するしかなく、人間不信になったりもしました。でも、ここで帰ったらただの負け犬だと思って、這い上がろうと決心しました。

 僕の努力も認めていただいて、異例の3年目ということで、やっとの思いで北京大学に入るチャンスをつかめました。逆に、これまでは人生がトントン拍子でなかったからこそ、強くなれたと思う面もあります。

 今思うと、北京に留学するという当時の判断は全然間違っていなかったし、来てよかったと思っています。

■イベントを通して日本を伝え 中国を知る

 「来た当時はすごかった」と留学に来たばかりの頃、北京大学の西門で撮った写真を見つめながら、村松さんは笑顔を浮かべた。今年で留学6年目を迎えた彼は、苦労した過去をかみしめ、充実した毎日を大切にしている。北京大学では、日本人留学生をまとめる仕事を担い、大学定例の「日本文化祭」でもリーダーシップを発揮している。その他、北京日本人留学生社団を立ち上げ、代表を任された。日本文化をより多くの人に知ってもらうため、そして、日本人が自国の行事を中国でも楽しめるようにと、様々なイベントを提案し、企画、実施してきた。中でも、屋台を出したり、盆踊りをみんなで踊ったりなど、いろいろな出し物をする夏祭りは高く評価され、話題となった。また日本人と中国人が日本スタイルの成人式に共に参加する日中合同成人式も、北京では初の試みで、学生たちは新鮮な行事を楽しんだ。

――夏祭りや日中合同成人式など様々なイベントを企画していますが、そこに寄せた思いは?

 初めて留学に来て思ったのが、日本が世界でどう思われているかということです。イベントを通して本当に日本人で良かったと感じましたし、日本の常識、ものさしで世界に出たら通用しないというのも感じました。そうした中で、文化やマナーなど日本の良さをこの北京で中国の方々、そして世界に向かって発信していきたいと思ったので、北京日本人留学生社団という団体を設立して、日中友好のために日々活動しています。

 また、日本では中国に対するネガティブなニュースが多く、中国に対し偏見や誤解が生じていると思います。その状況を変えたいと思って、自分たちで民間レベルの交流を行い、自分たちの頑張りで、日本に向けてポジティブな情報を少しでも発信できればと思っています。

――イベントの実施を通して一番勉強になったことは?

 成功の裏側にはかなり苦労もありましたね。中国の方々とイベントを共同運営していく際、お互いの常識や考え方、歴史的背景なども関係してきます。運営上ぶつかることもあり、その中で代表として日本側と中国側をどのように取りまとめていくかという難しさも感じました。それだけ、イベントをやり終えた後の達成感とやりがいもひとしおです。

 一番苦労したのは、やはり習慣や考え方の違いですね。日本人は何カ月も前に企画を出して、1つ1つ長い時間をかけて準備を整えていくのですが、中国だと、1,2カ月前から詰めていけば良いという感じですね。

 中国は人も多く、それだけの集中力と活力、パワーがあるのが特徴で、強みでもあります。もちろんどちらにも良いところがあります。しかし、中国でやるからには中国のやり方でやっていって、日本人としてはやりにくい部分があっても、そこを乗り越えて中国スタイルでやって行くことが大事で、成功につながると感じました。

■世界を股にかけて夢にチャレンジ

――ここ数年、日本では海外に出たがらない学生が増えていますが、これまでの留学生活を踏まえた上で、国内にいる同年代の若者に一番伝えたいことは?

 日本という枠組みを捨てて、恐れずにまず一歩外に出て、色々なものを見て刺激を受け、案外どこでも幸せになれるということを知って欲しいです。日本で安定した生活をするのももちろんアリですけど、一度きりの人生なので、挑戦してもらいたいです。

 逆に日本はきっちりし過ぎていて、ちょっとしたトラブルでもすぐに対応できなくなることが多い。そうなった時の適応能力とか、臨機応変の力が大事だということを中国で学びました。

――今後の進路、そして10年後は何をしていると思いますか?

 この9月から、母の母国である韓国に留学に行く予定です。卒業論文で日中韓の国際政治を取り上げるので、そのための資料収集をしてきます。また、韓国の文化もいろいろ学びたいと思っています。大学卒業後の進路ですが、北京大学の大学院に進学するか、韓国の大学院に行くか、英語圏の国に行って国際政治学を学ぶか、1年かけてゆっくり決めたいです。

 その後は、色々自分で切り開いていきたい。院生の在学中に起業して、北京にベースを置いて、日本や韓国でビジネスをやっていきたいですね。

 30代前半まで、世界中を飛び回って色々チャレンジするのが理想ですね。10年後は、多分世界のどこかを飛んでいると思います(笑)。

(劉 叡)

【一言問答】

1.中国の印象を3つのキーワードで表すなら?

  信頼関係、活気、世界の中心

2.ひと言でいえば中国はどんな国ですか?

  団結力、集中力、パワーを感じる国

3.中国に住んで、一番良かったことは?

  沢山の信頼できる仲間、応援してくれる友達、先輩などに出会えたこと。

4.中国に来たばかりの日本人にひと言アドバイスを!

  最初は大変なことが多いが、勇気を出して行動すれば必ずいい結果が待っている。

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