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1時間目は、頤和園の昆明湖と耕織図風景区をご紹介します。
世界遺産めぐり、頤和園の昆明湖と耕織図風景区
頤和園はもともと清蔬園と名づけられ、清代に建造された「三山五園」のうち、一番最後に完成したもの。
三山⇒香山、玉泉山、万寿山 、五園⇒暢春園、円明園、静明園、静宜園、そして清蔬園=頤和園。
清蔬園は清の乾隆15年(1750年)に建設が始まり、1764年に完成。
面積は290ヘクタール。その内の220ヘクタール=4分の3以上が昆明湖 。
昆明湖の西部には、西堤がある。杭州の西湖の蘇堤を模して作られたもの。
岳陽楼を模した景明楼もある。
南から北へ向かって、柳橋、練橋、鏡橋、玉帯橋、瞼風橋、界湖橋の6つの橋がある。堤に沿って桃や柳の木が植えられ、春になると、見渡す限り柳の緑と桃の花のピンク色で染まり江南の景色のよう。
西堤の西側にあるのが「耕織図」観光エリア。
清蔬園と同時期に建造された。乾隆帝は、西堤にかかる橋の1つ玉帯橋より西側の川や湖、稲田、養蚕用の桑の木などを利用して、「男が耕作をし、女は機織をする」をテーマに、江南の水郷の趣をたたえる田園風景を作り出しました。これが、「耕織図」観光エリア
現在の「耕織図」観光エリアは、光緒年間(1875~1908年)頃の姿をもとに、2002年から2003年にかけて新たに修復されたもの。
延賞斎、玉河斎、澄鮮堂、織染局、水村居と蚕神廟および水操学堂など、もとの「耕織図」の主な建築もある。
清蔬園は、園林の構造、建築の様式から、対聯や扁額の内容まで、乾隆帝の統治思想を色濃く示している。乾隆帝は「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という君子の心構えをここで表している。
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