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2月2日 月曜日

2015-02-02 17:51:21     cri    

一時間目、「ライフマガジン」と「北京暮らし」、就職の進路VS方荘

<ライフマガジン>

 話題一、在日中国人留学生の第1選択肢、「就職後に帰国」

 話題二、予想外の道を選ぶ高学歴者たち 安定志向はゼロ

<北京暮らし・北京の町巡り>

 <北京暮らし>のシリーズコラム「北京の町巡り」でご紹介していきたいと思います。今回ご紹介するのは、北京市南部の町「方荘」です。「方向」の「方」に「別荘」の「荘」と書く「方荘」は、北京南部の「豊台区」にあります。北京市初の全体計画された住宅エリアで、1990年代に建設され、総面積は5.53平方キロで、およそ8万人が暮らしています。

 この町には、主に6つの大型住宅団地からなります。「芳古園」、「芳群園」、「芳城園」、「芳星園」など、いずれも「芳」という字で名づけられています。また、各住宅団地の建物は白、灰色、黄色、紫など、それぞれの色で区別されています。20年以上も成熟した住宅エリアなので、この町では、生活施設が整っています。敷地面積6ヘクタールのスポーツ公園、9つの幼稚園、10の小学校、15の住民委員会があります。この町の特徴と言えば、一つの飲食街「蒲方路」があります。北京ダックの老舗「全聚徳」から、北京風のシャブシャブ、韓国料理、イタリア料理、庶民的な屋台、全部揃っています。こちらの住民にとっては、家の近くで北京ならではの美味しいものを楽しめる一方、世界中のグルメも堪能できます。また、交通面では、多くのバス線路があるほか、地下鉄の5号線で「劉家竈駅」で降りれば着きます。そして、地下鉄14号線が年内に運営開始となり、方荘へ行くのがいっそう便利になります。

二時間目 ラジオドラマ『宮廷の諍い女・後宮甄嬛伝』 第5話

 「宮廷の諍い女、後宮甄嬛伝」今回は第5話「裏切りの運命」をオンエアしますが、その前に、前回放送した第4話「揺れる友の絆」の簡単なシナリオをおさらいしましょう。

 華妃が冷遇され、甄嬛が悲しみに沈む中、安陵容は雍正帝の寵愛を一身に受けました。しかし、失意の甄嬛は病にも伏しがちとなり、碎玉軒はすっかりわびしくなっていました。そんな様子を見かねた沈眉荘は甄嬛を冷宮に連れていき、冷宮で目にしたのはすっかり変わり果てた麗嬪の姿でした。眉荘は冷宮送りになった妃の姿こそ甄嬛の末路だと諭しました。ようやく目の覚めた甄嬛は、再び雍正帝の心を取り戻すべく入念な下準備を始めました。そして、雍正帝はかつて甄嬛と出会った御花園を訪れ、甄嬛の体から蝶が舞う様にすっかり魅せられ、嬛は再び雍正帝の寵妃として復活しました。

 甄嬛が華妃の封号を戻すよう雍正帝に進言したため、華妃は貴妃に復活しました。一方 この件を耳にした安陵容が、甄嬛が雍正帝に華妃の封号を戻すよう進言したことを沈眉荘に明かしたため、沈眉荘と甄嬛の間に亀裂が生じました。甄嬛は釈明しようとしても、沈眉荘との溝はなかなか埋まらずにいました。甄嬛は心を痛めています。一方、皇后から指示を受けた安陵容は、甄嬛と沈眉荘の仲を引き裂こうと策を講じるが、その意図を沈眉荘に見抜かれてしまいました。

 一方、朝廷では年羹堯と敦親王を粛清すべく水面下で調査が行われています。雍正帝の元に果郡王が密書を提出し、敦親王が年羹堯に雍正帝の皇位を奪うよう頼んでいたことが分かりました。敦親王が幽閉処分となり、ついに年羹堯と華妃も降格処分を受けました。そして年羹堯への追及の手を緩めない雍正帝はついに年羹堯に自害を命じ、年氏一族は栄華から奈落の底に突き落とされました。(つづく)

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