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1月12日 月曜日

2015-01-12 14:04:31     cri    

一時間目 『ライフマガジン』と『北京暮らし』

 ★『ライフマガジン』 話題一:中国ネットユーザーの消費者信頼感指数

 元旦になると、多くの通販サイトが大規模な販促キャンペーンを展開しました。消費者は通販に対して、どのような態度をとっているでしょうか?

 ★『ライフマガジン』 話題二:中国、大学院の受験生が2年連続減少

 中国教育ネットが発表した「201年全国大学院生入学データ調査報告」によりますと、2015年度、約20年増加の一途をたどっていた修士課程の受験者数は2014年度に減少に転じ、今年もその傾向を引き継いだ形となっています。

 ★『北京暮らし』、北京の町巡り、第2回 双 井

 中国の首都、北京の面積は1万6800平方キロで、日本の四国4県とほぼ同じ大きさで、東京都のおよそ8倍にあたります。16の区と2つの県からなり、人口も2013年には何と2114万人に達したということです。中国の成語に、「孟母三遷(もうぼさんせん)」というのがあります。昔、孟子(もうし)の母親は、孟子を育てる時に三度も引っ越しをしたという言い伝えで、子供は周囲の影響を受けやすいので、子供の教育には環境を選ぶことが大切だという教えです。では、広々とした北京の町では、住みやすい生活エリアや住宅団地はどんなところでしょうか。<北京暮らし>のシリーズコラム「北京の町巡り」でご紹介していきたいと思います。現場リポートや実際にそのエリアに住んでいるゲストからのインタビューを交えながらご紹介しますので、是非お聞きください。

 今回は2回目として、北京のCBDのセントラルエリア「国際貿易センター」に近い町、「双井」をご紹介します。お馴染みの王秀閣アナもゲストとして登場しますので、是非お楽しみください。

 「双方」の「双」に「井戸」の「井」と書く「双井」は、北京東部の「朝陽区」の南西にあり、北京のCBD・セントラルビジネスエリアの「国際貿易センター」の真南にあります。この辺りは、昔、紫禁城の南側の下町で、近くの広渠門大通りに二つの井戸があったため、「双井」と名づけられました。今は昔ながらの街並みとスタイリッシュなライフスタイルが共存する不思議な生活エリアとも言えます。

 その特徴を一言で言えば「極端」。一方では昔ながらの旧式住宅団地がまだ沢山残され、他方では、新しく建てられた高級マンションや高層ビル、ショッピングモールが林立しています。国際貿易センターから近いため、この辺りのライフスタイルもずいぶん国際化されているようです。イタリア、タイ、マレーシア、インド、日本など各国の料理のお店が沢山集まり、アートギャラリーを備えたカフェやスナックなども少なくありません。しかも手ごろな値段で、気軽に楽しめます。

 さらに、国際貿易センターに近いわりに、家賃や物件がそれほど高くないため、この辺りに居を構える若いサラリーマンが非常に多くいます。「リンゴ団地」のような独身者や、もしくは若いカップル向けの小面積のマンションが相次いで登場しています。特に、リンゴ団地にある今日美術館や22院街などの現代アートスポットもいま、若者を中心に人気を呼んでいます。賑やかな一方、治安の面で不安もあり、さらに昔の町並みなので、道路が狭く、渋滞しやすく、駐車スペースが足りないなどのデメリットも挙げられます。今は、地下鉄10号線の「双井駅」を降りれば着きますが、7号線が運営開始となり、10号線との乗り換えができて北京市東南部の交通の要衝になっています。

二時間目 ラジオドラマ『宮廷の諍い女(後宮甄嬛伝)』

 今週は第2話『諍いの始まり』をオンエアします。是非お楽しみください。その前に、第1話のシナリオを簡単におさらいしましょう。

 ★先週のおさらい:第1話 幻の出会い

 1722年、清の五代皇帝として雍正帝が即位し、後宮では雍正帝擁立に貢献のあった将軍、年羹堯の妹である華妃が雍正帝の寵愛を独占していました。子孫繁栄を案じる皇太后は雍正帝の妃選びを提案し、最終選考で、1人の少女、甄嬛の顔を見た雍正帝は激しく動揺しました。 甄嬛に大いに興味を持った雍正帝は甄嬛を選出し、自ら封号を賜りました。華妃の嫉妬によって、甄嬛の住む屋敷は雍正帝の寝室からかなり遠いところへと変更させられました。

 甄嬛は同じく後宮入りが決まった安陵容、沈眉荘と共に、宮廷生活に慣れるよう頑張っていますが、華妃の恐ろしさを痛感して、後宮の争いを避けようとわざと病を長引かせていました。そして、大晦日の夜、病のため宴への出席を免除された甄嬛は、御花園を訪れ「梅」の詞になぞらえた願い事をつぶやきました。すると暗がりから男に声をかけられ、その男が雍正帝だとは知らずに、その場を去りました。

 一方の雍正帝は謎の美女を捜し出すよう命じ、大晦日の夜、御花園で雍正帝と甄嬛のやりとりを盗み聞きしていた侍女の余氏でした。少しずつ回復に向かう甄嬛はある日、御花園のぶらんこで簫を吹いていると、果郡王と名乗る男に出会い、5日後の同じ時刻同じ場所で会うことを約束しました。しかし約束の日、御花園を訪れる甄嬛は、大雨のためか果郡王は訪れず、がっかりしました。一方、皇太后に呼ばれた後、急いで御花園に向かう雍正帝は甄嬛に会えず、落ち込んでしまいました。すると、数日後、再び御花園を訪れた甄嬛は余氏にぶつかり、寵愛を得る者が尊いと余氏に笑われ、侮辱されました。すると果郡王と名乗っていた男が現れ、余氏を諌め、甄嬛はその男が果郡王ではなく、雍正帝だったことを初めて知りました。

 ★『甄嬛ブーム』のキーワード:日本でも話題沸騰中の中国宮廷ドラマ

 数年前、中国の宮廷ドラマ『宮廷女官 若曦(ジャクギ)』(中国語名『歩歩驚心』)は日本で放送され、大好評を得ました。日本のテレビ界では「辮髪ものは当たらない」というジンクスがあり、放送前にはく期待されていなかったものの、大きな反響を引き起こしました。これらの作品を見れば、楽しみながら歴史を学ぶこともでき、中国理解にもつながります。ひとつのドラマを話題に日本人と中国人が語り合うようになってくれたら素晴らしいことで、これもひとつの民間外交だと考えられますね。

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