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今週は第2話『諍いの始まり』をオンエアします。是非お楽しみください。その前に、第1話のシナリオを簡単におさらいしましょう。
★先週のおさらい:第1話 幻の出会い
1722年、清の五代皇帝として雍正帝が即位し、後宮では雍正帝擁立に貢献のあった将軍、年羹堯の妹である華妃が雍正帝の寵愛を独占していました。子孫繁栄を案じる皇太后は雍正帝の妃選びを提案し、最終選考で、1人の少女、甄嬛の顔を見た雍正帝は激しく動揺しました。 甄嬛に大いに興味を持った雍正帝は甄嬛を選出し、自ら封号を賜りました。華妃の嫉妬によって、甄嬛の住む屋敷は雍正帝の寝室からかなり遠いところへと変更させられました。
甄嬛は同じく後宮入りが決まった安陵容、沈眉荘と共に、宮廷生活に慣れるよう頑張っていますが、華妃の恐ろしさを痛感して、後宮の争いを避けようとわざと病を長引かせていました。そして、大晦日の夜、病のため宴への出席を免除された甄嬛は、御花園を訪れ「梅」の詞になぞらえた願い事をつぶやきました。すると暗がりから男に声をかけられ、その男が雍正帝だとは知らずに、その場を去りました。
一方の雍正帝は謎の美女を捜し出すよう命じ、大晦日の夜、御花園で雍正帝と甄嬛のやりとりを盗み聞きしていた侍女の余氏でした。少しずつ回復に向かう甄嬛はある日、御花園のぶらんこで簫を吹いていると、果郡王と名乗る男に出会い、5日後の同じ時刻同じ場所で会うことを約束しました。しかし約束の日、御花園を訪れる甄嬛は、大雨のためか果郡王は訪れず、がっかりしました。一方、皇太后に呼ばれた後、急いで御花園に向かう雍正帝は甄嬛に会えず、落ち込んでしまいました。すると、数日後、再び御花園を訪れた甄嬛は余氏にぶつかり、寵愛を得る者が尊いと余氏に笑われ、侮辱されました。すると果郡王と名乗っていた男が現れ、余氏を諌め、甄嬛はその男が果郡王ではなく、雍正帝だったことを初めて知りました。
★『甄嬛ブーム』のキーワード:日本でも話題沸騰中の中国宮廷ドラマ
数年前、中国の宮廷ドラマ『宮廷女官 若曦(ジャクギ)』(中国語名『歩歩驚心』)は日本で放送され、大好評を得ました。日本のテレビ界では「辮髪ものは当たらない」というジンクスがあり、放送前にはく期待されていなかったものの、大きな反響を引き起こしました。これらの作品を見れば、楽しみながら歴史を学ぶこともでき、中国理解にもつながります。ひとつのドラマを話題に日本人と中国人が語り合うようになってくれたら素晴らしいことで、これもひとつの民間外交だと考えられますね。
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