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一時間目 世界遺産巡り、山東省曲阜の孔府、孔林、孔廟

2014-12-19 18:07:32     cri    

 世界遺産巡り、山東省曲阜の孔府、孔林、孔廟

 曲阜は、中国山東省の西南部にあります。偉大な思想家で、教育家であった孔子は、紀元前551年、ここに生まれました。曲阜三孔とは、孔子を祭った寺院の「孔廟」、孔子の直系子孫が住んだ邸宅「孔府」、孔子とその末裔の墓地である「孔林」の三つを合わせた総称です。曲阜三孔は1994年、ユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。

 孔廟は、曲阜という町の中央にあります。松やコノテガシワの512メートルの並木道「神道」を通りぬけると、曲阜城の南門である「仰聖門」に着きます。これは、明の時代(1594年)に建てられた城で、城の上部には「万仞宮壁」の4文字が刻まれています。孔子のすぐれた学識に対し、尊敬と敬慕の念を表したものです。この門はかつて、平時は閉ざされたままでした。皇帝の来臨か、大臣が使わされたときだけ、開けられたと言います。

 孔廟の歴史は、孔子逝去の翌年、つまり、紀元前478年まで遡ります。魯国の哀公は、部屋がわずか3つしかなかった孔子の住居を「寿堂」として祭る命をくだし、孔子が生前使っていた衣服や冠、琴、車、書物などを集めて、後世の人々のために参拝できるようにしました。その後、寿堂は増改築が繰り返され、明の時代(1503年)、現在の規模となりました。

 約2500年もの歴史をほこる孔廟は、無数の戦火と動乱の時期を経過してきました。破壊されれば修理され、いつの時代も守られてきました。

 孔廟の建物は、宮廷の建築様式を模倣しています。14万平方メートルの広大な敷地面積や、466もの部屋数などです。それは北京の故宮、河北省承徳の避暑山荘とならぶ「中国三大古代建築群」と称されています。

 孔子を祭る寺院として、その建築レベルはトップクラスです。威風堂々とした風格は、正門からうかがえます。南から北へ立ちならぶ4つの石坊(鳥居形の門)は、いずれも天に向かって聳え立っています。孔廟の本殿である大成殿を仰ぐなら、7つの門を通りぬけ、6つの庭を進まなければなりません。

 本殿である大成殿は、孔子を供養したり、祭典が行われたりした場所です。大成殿は、北宋の時代(1018年)に建てられたものです。雷によって焼失しましたが、清代に建物が再建されました。その高さ24.8メートル、幅45.78メートル、奥行き24.89メートル。建物の屋根をおおっているのは、昔は皇室しか使えなかった金色の瑠璃瓦です。そこから、孔子が皇帝と並ぶ最高の地位を与えられていたことがわかります。

 大成殿の四方は、高さ5.98メートル、直径0.8メートルの石柱28本に支えられています。中国古代建築の精華と称えられています。

 大成殿の中央の仏龕にある孔子の塑像は、帝王の像と全く同じように模していますが、それは歴代皇帝の孔子に対する尊敬の念が、形となって表れたものです。

 大成殿の前には、幅45メートル、奥行き35メートルの大きな台座が設けられています。祭祀のときには、音楽の演奏や舞踊の披露が行われていた場所です。今では毎年9月28日の孔子生誕日に、ここで盛大な祭祀活動が行われています。

 曲阜城の北門を出てしばらくすると、孔子やその末裔の墓地・孔林へと続く「神道」があります。神道の全長は1266メートル。両側にコノテガシワが立ち並び、神道の中ほどには明代の石坊が建てられています。上部には「万古長春」の4文字が刻まれています。

 孔林の敷地は208.4ヘクタール。2400年以上にわたる孔家歴代の墓が10万あまり。文字を刻んだ石碑が4千以上。石人、石馬などの石像芸術が千近くもあり、数万本もの古木が植えられています。

 孔林には、孔子をはじめ、その第78代目の子孫までが埋葬されています。その悠久の歴史や多数の墓、完璧なまでの保存形態は、一族の墓地では世界でも稀です。それは中国墓地の埋葬制度の研究をはじめ、政治や経済、文化、風俗習慣、芸術などの研究にとって、重要な価値があります。

 皆さん、お時間があったら、是非、山東省曲阜の孔府、孔林、孔廟を訪れてみませんか。

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