遼寧省公文書館の趙煥林館長は17日午後、旧日本軍の南京大虐殺行為を記録した「南満州鉄道株式会社」(略称=満鉄)南京特務班の3件の機密報告書を公開した。
趙館長は次のように説明した。南京大虐殺が記載された公文書は「満鉄」南京特務班が1937年12月22日から38年3月までの間にまとめた3件の報告書で、当時は機密文書として扱われていた。16折り判で、謄写版印刷の報告書だ。
「満鉄」特務班の最初の報告書は1938年1月21日にまとめたもので、旧日本軍が南京を占領したあとの「治安」の状況や難民の状況、かいらい自治委員会の設立、交通の復旧状況、日本人街の建設、国際社会の反応などが報告されている。
2件目の報告書がまとめられたのは38年2月末で、かいらい自治委員会の活動、難民分散の状況、抗日運動関係者鎮圧の状況、市街の清掃管理の状況、死体埋葬の状況や物資供給の状況などが報告されている。
3件目の報告書は38年3月末にまとめられたもので、これまでのかいらい自治委員会の活動、難民区の解散、抗日運動関係者鎮圧の状況、「良民証」発給の状況、死体除去の状況などが報告されている。
「満鉄」は日露戦争のあと日本が中国の東北地方に設立した「国策会社」で、中国侵略を長期的に続けるための正真正銘の機構でもあり、40年近くも中国に存続した。「満鉄」は1907年4月1日に大連で開業した。鉄道 炭鉱 調査情報収集活動に重点的に従事し、関東軍と関東州総監府と共に中国の東北地方において日本の3大巨頭を構成し、中国侵略を積極的に画策し、鉄道や炭鉱の運営などを利用して中国の資源を略奪、資金を蓄積し、日本帝国主義を支え、中国侵略戦争を発動した。
1937年の盧溝橋事変のあと、日本は本格的に中国侵略を始めた。旧日本軍は1937年12月13日、南京を占領した直後、「満鉄」上海事務所は松岡功らからなる「南京特務機関」(南京特務班とも呼ばれていた)を派遣し、旧日本軍の侵略活動を支援した。
趙館長は次のように説明した。「満鉄」南京特務班は日本の中国侵略機関として、旧日本軍の南京大虐殺に参加したことを認めた文言を報告書に記している。この3件の報告書は旧日本軍が南京を侵略したあとの活動を記載したもので、旧日本軍の残酷な殺人行為に直接ふれていないが、行間からは旧日本軍が南京で大虐殺を行った事実を読み取ることができる。
また「ほこりにまみれた歴史関連の公文書を再び公開するのは、日本が中国侵略戦争を発動した歴史的真実を人々に知らせるためで、人々は公文書を根拠にし、歴史を鑑にすることができる」と語った。
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