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一時間目 世界遺産めぐり、杭州の西湖

2014-10-17 15:42:33     cri    


 一時間目は、世界遺産に登録された浙江省杭州の西湖とその周辺の著名な観光スポットをご紹介します。

 杭州を訪れた時、見逃すわけにはいかない寺院があります。それは浄慈寺です。浄慈寺は背後に南屏山があり、正面は西湖に面して建てられ、寺の前に仏の舎利が祭られる雷峰塔が聳え立っています。浄慈寺は954年に建設がはじまり、中国の歴代の君主がほとんど仏道を崇めたため、浄慈寺は皇族の寺院となり、一時期杭州最大の寺院でもありました。浄慈寺が、今も昔も名を馳せているのは、南宋から西湖十景に数えられた「南屏晩鐘」の1つだからでしょう。夕日が沈みつつある頃、寺の境内に鐘の音が響き渡ります。この鐘の音は広々とした水面をかすめて広がり、山々につくとまた屈折して戻り、西湖の空中でこだまします。

 毎夕、浄慈寺の鐘楼に上り鐘をつく僧侶は仏法を唱えながら108回つきます。おおよそ30分かかります。残念なことに、その銅鐘は清朝末期の戦乱によって紛失してしまいました。1984年10月、日本の仏教界の協力を得て、浄慈寺は銅鐘を新たに鋳造しました。1986年11月21日、中日の仏教界から関係者、およそ400人が浄慈寺に集まり、盛大な大梵鐘落成法会を行い、力強い108回の鐘音が再び西湖の空に響きわたりました。

 西湖の西北岸に位置する岳王廟は南宋が金の国と戦った時の著名な英雄岳飛を祭るお寺です。岳飛は金の侵略に抵抗し、勇敢に戦った将軍です。しかし、彼は金に降伏することを主張した宰相である秦檜らに謀反の罪に陥れられ、獄死しました。岳飛が死んでから21年後、宋孝宗は彼の冤罪をそそぐ、盛大な儀式を行い岳王廟に彼を祭りました。岳王廟は南宋の1221年に、元の智果観音院の旧跡に建てられたもので、後に改称し、さらに、明朝に、名を忠烈廟に変えました。現存している建物は清朝、1715年に再建されたものです。

 岳王廟の建物は東西の二つの部分からなっており、東側は岳飛を記念する忠烈祠で、西側は岳飛の墓です。忠烈祠は岳王廟の主体建築です。正殿の正面は高さ四・五四㍍の岳飛の坐像があります。坐像の上には「還我河山」(山河を我に還せ)の扁額が掲げられています。

 岳飛の墓に通じる道の両側に3対の明代に建てられた伝説上の巨人翁仲の石像と2組のいけにえ(ウマ、ヒツジ、トラ)が並び、それぞれ忠、孝、操を表しています。お墓の前の石像下にある表門の両側には、後ろ手に縛られ、跪かされた秦檜とその妻王氏、張俊、万俟4人の鉄の像があります。彼らは岳飛を陥れ、後世に軽蔑されてきた4人です。

 隋の時代、610年に開削された江南運河は、北運河とつながり、中国の海河、黄河、淮河、長江、銭塘江という五大水系と結ばれたため、杭州の交通は便利になり、経済も発展し、都市としての地位がしだいに向上してきました。歴史上、西湖に対して影響が最も大きかったのは、五代十国時代の呉越国と南宋の時代でしょう。2つの時代には杭州が首都とされ、西湖は全面的に開発され整備されました。西湖およびその周辺の景観による「三面が山に面し、一面が都市に面する」という空間配置がこの時に形づくられました。とりわけ仏教を信仰する呉越国の歴代の国王たちが、西湖の周辺に多くのお寺や宝塔、経幢、石窟を造営したので、西湖はその当時からすでに観光名所となりました。

 皆さん、杭州の秋は、金木犀が香りとてもきれいです。お時間があったら、是非、人間の極楽世界と呼ばれる杭州を訪れてみませんか。

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