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世界遺産めぐり、甘粛省の嘉峪関(万里の長城)
中国の有名な観光スポットの中で、国内外の観光客に一番よく知られているのは恐らく万里の長城でしょう。その長城に沿ってある関所、城壁、狼煙台は、長城防御の欠かせない3つの部分です。中でも嘉峪関は、すべての関所の中で一番大きく、一番よく保存されている軍事要塞です。
甘粛省西北部に位置する嘉峪関は、南は真っ白な雪をいただく祁連山と、北は連綿と続く黒山に挟まれた幅15キロのゴビ砂漠を横切っています。
嘉峪関は、甘粛省嘉峪関市の西5キロのところにあり、明代の万里の長城の西の起点であり、古代「シルクロード」の交通の要所でもありました。嘉峪関は、険しい地勢と雄大な景観があり、万里の長城の中で最もよく保存されている規模が大きく、最も立派な古代の軍の城で「天下第一雄関」と呼ばれています。
嘉峪関は明代1372年に建造が始まりました。西麓の嘉峪山にちなんでこの名がついたそうです。嘉峪関の位置する河西走廊(黄河の西側、甘粛省の西北部の細長い高地)は、シルクロードに通じています。シルクロードの要衝である酒泉があり、果てしない草原とゴビ砂漠が広がっています。
自然条件に恵まれ、交通の要所であったことから、早くは漢の時代(紀元前206~220年)に関所が設けられ、外敵を防ぎました。明代になると、河西の軍事防御が強化され、ここに関所を建造し、西への交通をコントロールすることになりました。嘉峪関はその建造開始から強固な防御を固めるまでの160年に、「初めに水があり、のちに関所を置き、関所ののちに楼を建て、楼ののちに長城を築き、長城を築いてのちに守る」という過程がありました。明の時代1539年、再び土木工事が進められ、関所が補強され、敵楼、角楼などが増築され、さらに関所の南と北に延びる両翼のような長城と狼煙台などが築かれました。こうして、巨大な規模の、雄大で険しい関所がゴビ砂漠に築かれ、シルクロードの喉元である要衝をしっかりと守っていたのです。
嘉峪関は内城、外城、羅城、3つの三層の城楼及び南北に延びる長城と狼煙台などからなっています。内城は周囲640メートル、面積2.58万平方メートルで、嘉峪関の主体であり、中心です。内城には三層の望楼がある他、楼閣、舞台、遊撃将軍府などがあります。嘉峪関は狼煙台や土盛等の付属施設とともに厳密な軍事防御システムを構成しており、幾重にも及ぶ難攻不落の防御線で城を堅固に守っていました。
嘉峪関から南北に延びた長城は、明代に建造が始まり、1年がかりで完成しました。長城に沿って南に進んでいくと、道中の長城はすべて土、砂、石の層をそれぞれ固めて築いたものです。600年あまりの風食を経て、そのかつての雄大な姿は見られません。
強い風が吹き荒れる中、7キロあまり進むと、長城は討頼河の断崖でぷっつりと途切れ、一番端の部分には台が築かれています。ここが、長城の最西端です。そのため、人々はここを「万里の長城第一土盛」と呼びます。断崖に立つと、足元の80メートルほど下には討頼河のゆったりとした流れ、顔を上げれば真っ白な雪に覆われた祁連山が見えます。ここが嘉峪関長城の防御において非常に重要であったことは、一目瞭然です。
北側に延びる長城に沿って、また7キロあまり進むと、長城は黒山の中腹を登っていきます。このあたりのおよそ750メートルを、人々は「懸壁長城」と呼んでいます。
長い年月が経ち、老朽化と風化で嘉峪関には、地盤沈下などの問題が出てきました。世界遺産の建造物を保護するために、中央政府は2011年末、20億3000万元を投じて、3年間にわたる嘉峪関と周辺長城の修復プロジェクトを開始しました。この工事は、長城の修復、関所城壁の修復と保護、木造建築の修復など10項目が含まれています。歴史的建造物の特徴を壊さないように、もともとの材料と構造、今の技術によって、修復工事が進められています。
皆さん、万里の長城の西の起点、そして中国西部雄大なゴビ・砂漠地域の風景に興味があれば、甘粛省の嘉峪関に出かけてみませんか。
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