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第十八話 第一回長沙会戦

2014-09-26 10:52:45     cri    

 【新華社北京9月11日】国家檔案局が9月11日『血を浴びて戦うーー中国の抗日戦争に関する檔案』第十八回:第一回長沙会戦をその公式サイトに発表した。

 第十八回の説明によると、1939年9月、中国軍の抗戦の意志に打撃を加えるために、日本軍第11軍司令官の岡村寧次は師団4つ、支隊2つおよび海軍、航空兵の各一部の計10万人余りを集中させ、赣北(江西省の北部)、鄂南(湖北省の南部)、湘北(湖南省の北部)からルートを分けて長沙を侵犯し、最短期間で中国・第九戦区の主力をせん滅しようと企んだ。

 中国・第九戦区の薛岳司令長官は30余りの師と挺進縦隊3つの計24万人を集中させ、山岳・河川などの有利な地形を利用し、防衛を組織し、「後退決戦」、「外翼を勝ち取る」作戦方針を講じ、順次抵抗し、敵を深く誘い込んで、長沙の附近で日本軍を消滅させるよう準備した。

 9月14日から、日本軍の第6、33、106師団などの部隊が3つの方向から攻撃を開始し、多くの都市や町を占領し、長沙の外郭へ入るに至った。中国軍の羅卓英、関麟征、樊崧甫など将軍の指揮の下で日本軍を待ち伏せ、また一部の地区で日本軍を包囲しせん滅した。双方による激戦は一ヶ月近くに及び、岡村寧次は勝利のすべがないとみて、利害をはかりにかけて撤退命令を下した。中国軍は全線にわたって追撃し、平江、南江橋などの都市や町を奪回した。10月中旬、双方は戦前の態勢を回復させた。

 この戦いで、我が軍は我が軍・第九戦区の主力を包囲・せん滅しようと企んだ日本軍の戦略目標を粉砕し、日本軍の大量な人員、装備を消耗させた。日本軍は大規模な作戦の発動時に兵力不足という弱点を現した。我が軍側の多くの将兵の士気は高められ、抗戦に必ず勝つとの自信が一層強まった。

1939年9月16日、第15集団軍の関麟征総司令代行が羊楼司を奪還したことを蒋介石に報告する電報。(中国第二歴史公文書館提供)

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