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第九話 晋西北抗日根拠地への襲撃を撃退

2014-09-17 19:02:23     cri    

 晋(山西省の略称)西北抗日根拠地は同蒲鉄道(山西省の大同市から風陵渡までの鉄道路線)の西に位置し、中国共産党中央が本拠地を置いた陝甘寧辺区を守衛する東の防護壁であり、日本軍の後方で活躍している華北地区の各抗日拠点をつなぐ中枢でもある。1937年9月、賀竜と関向応が率いる第120師は、山西省の西北部に到着し、管涔山を中心とした晋西北抗日拠点を形成した。兵員数は出兵時の8200人から2万5000人に拡大し、日本軍が占拠していた同蒲鉄道の北部区間や大同、太原にとって、大きな脅威となった。

 晋西北抗日拠点を破壊し、後顧の憂いを払うため、1938年2月、日本の駐モンゴル第26師団、華北方面軍第109師団、モンゴル人による日本軍の支援部隊計1万人以上が、平綏や同蒲鉄道、太原―汾陽道路の沿線にある各拠点から出動し、5方面から晋西北抗日拠点へと侵攻してきた。当時、山西北部では、国民政府の晋綏軍の4つの軍が駐屯していたが、傅作義が率いる第35軍は抵抗したものの、他の兵力はいずれも撤退した。

 3月6日、毛沢東は第120師に電報を送り、「敵が5方面から第120師及び傅作義軍を包囲し、わが軍を圧迫し、河を渡らせようとする企みがはっきり分かる。しかし、敵の各方面の兵力はいずれも強くない。賀竜師が傅作義と力を合わせてそれぞれを撃退した方がいい」と指示した。

 それを受け、第120師は一部の兵力を分け、各方面からの敵軍を牽制しながら、主力を集中し、一方面からの敵軍を孤立させ、襲撃や包囲などの戦術を講じ、敵軍を移動させながら殲滅した。4月1日までに、寧武、神池など7県の県城(県政府の所在地)を奪還し、敵軍1500以上を殲滅し、銃など200丁、車両14台、馬など100頭あまりを鹵獲(ろかく)した。この勝利は日本軍に大きな打撃を与えただけでなく、抗日戦争勝利に対する拠点の軍と人民の自信を強め、晋西北抗日拠点を固め、陝甘寧辺区の安全を守った。

 晋西北抗日根拠地への襲撃を撃退する戦役に関する公文書目録


八路軍第120師が晋西北へ進撃(写真)(中央公文書館提供)

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