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合肥市(ごうひし)

2014-09-15 08:52:54     cri    

 合肥市(ごうひし)は中華人民共和国安徽省に位置する副省級市です。安徽省の省人民政府が置かれる省都で、地域の政治・経済・文化の中心です。合肥の日本語読みについては、「ごうひ」が一般的であるが、三国志関連では「がっぴ」と読まれる傾向にあります。

 歴史:

 合肥の歴史は古く、紀元前3世紀に秦が合肥県を置き、九江郡に属しました。

 後漢末期に曹操により派遣された揚州刺史の劉馥が整備し、曹操と孫権の係争地となります。208年、赤壁の戦いの前後、孫権は10万の兵を率いて、百余日、合肥を攻撃したが、落とすことができずに撤退しました。215年には魏の将軍である張遼が楽進、李典らとともに、まず精鋭騎兵800で奇襲を行い呉軍の気勢を削ぎ、その後も7千程度の兵力で合肥に篭り、呉の10万の大軍を相手に死守し、やがて撤退を完了しようとしていた呉軍に追撃をかけ、孫権を徹底的に追い詰めました(合肥の戦い)。その後も張遼は呉軍を一切寄せ付けず、「遼来遼来」の言葉を生みました。

 三国時代には魏の揚州経略の主要拠点となり、呉からの攻撃も止むことはありませんでした。230年代初頭に魏の満寵が老朽化した合肥城の北西側に「合肥新城」を築城します。234年、呉の孫権が同城を攻撃してきた際には、魏の曹叡(明帝)が親征を行ってこれを撃退しました(現在も同地に合肥新城遺址が残されています)。253年には呉の諸葛恪が攻撃するが、籠城の末にこれを撃退ししまた。

 その後隋代には合肥県に廬州府が設置され、明清時代まで続きました。このため廬州の別称でも知られます。 

 1949年1月21日、国共内戦のさなか中国国民党軍を破った人民解放軍が合肥に入城、2月1日に県を廃して合肥市を建てました。1952年8月25日安徽省人民政府が正式に成立し、合肥市に駐在するようになりました。

 地理:

 安徽省中央、長江と淮河の間に位置し、巣湖に臨みます。淝河を通じて長江から海に出ることができます。省都として行政施設が多数置かれているほか、石油関連のオフィスが目立ちます。大規模な工場は少ないが主要大学があることも関係して技術研究開発施設には重点が置かれています。

 気候:

 1月の平均気温は2.8度、7月の平均気温は28.0度、年平均気温は15.8度、年降水量は990.5mmです。

 友好都市:

 日本久留米市。

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