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『偉大な勝利-中国の降伏受理資料』

2014-08-15 16:38:37     cri    

 1937年7月7日、日本の帝国主義勢力は七・七事変(盧溝橋事変)の画策を発端に、全面的な対中侵略戦争を発動しました。その翌日、中国共産党は全国に電報を発信し、「全民族による抗日戦争を行わない限り、中国に未来はない」と強調しました。その上で、全国の人々や軍隊及び政府に対し、一致団結して民族統一戦線という固い砦を築き、日本の侵略に抵抗するよう呼びかけました。中国共産党はさらに、国民党との協力を土台にする抗日民族統一戦線の構築を提唱し、全民族による抗日戦争の気運が高まりました。

 1943年11月、中米英3ヶ国の首脳がカイロ会議で対日合同作戦などの問題で意見が一致し宣言を発表しました。1945年7月26日、中米英3ヶ国が『ポツダム宣言』を発表し、日本に対して即時の無条件降伏を求めました。8月6日と9日、アメリカが広島と長崎にそれぞれ原爆を投下しました。8月8日、旧ソ連が『ポツダム宣言』に加わり日本に宣戦布告しました。8月9日、毛沢東が『日本侵略者に対する最後の戦い』という声明を発表したことを受けて、根拠地の部隊と民間人は全面的な反撃を開始しました。8月15日、日本の天皇は放送で『終戦の詔書』を発布し、無条件降伏を宣言しました。8月18日、蒋介石は中国陸軍の何応欽総司令官に、中国における旧日本軍の降伏を受理するよう命じました。同時に、中国解放区抗日軍の朱徳総司令官は、降伏受理や対日反撃の全面的な展開などに関する7つの命令を連続して出しました。8月21日、何応欽総司令官の代表が湖南省の芷江で旧日本軍の代表による降伏を受け入れました。9月9日、中国における旧日本軍降伏文書調印式が南京で行われました。旧日本軍側の代表を務めた中国派遣軍の岡村寧次総司令官(当時)が降伏文書に署名したことで、対中侵略を実行した旧日本軍128万人余りが中国に降伏しました。9月11日から10月25日までに、中国各地の主な地域で受降式が続々と行われ、旧日本軍は武装解除して中国に降伏しました。

 1945年9月2日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ号で、日本政府の全権を任された重光葵外相(同)と日本帝国大本営の梅津美治郎旧日本軍参謀総長(同)がそれぞれ降伏文書に調印しました。これによって中国の抗日戦争と世界反ファシズム戦争は勝利に終わったのです。翌日の9月3日は、中国抗日戦争勝利記念日に指定されています。

 中国抗日戦争勝利記念日で世界反ファシズム戦争勝利記念日でもある9月3日を前に、われわれは全国各地の档案館や資料館から当時の対日降伏受理資料を選定し、この中華民族の偉大な勝利を多角的に再現します。また、これらの資料により、当時の日本軍国主義の失敗を繰り返そうとしている勢力に警鐘を鳴らすと同時に、世界中の人々に中国人の不撓不屈の精神を示したいです。

国家档案局

2014年8月15日

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