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坂東弘美さん:日本軍による侵略の歴史を次の世代に伝えていく

2014-08-13 13:38:12     cri    


盧溝橋事件から1週間ぐらいの、当時の名古屋新聞を掲示しています

 毎年私たちは8月中旬に(今年は8/9~12)「戦争展」を開き、多くの団体が参加して活動します。今年も南京から抗日博物館館長他マスコミ関係者のかたが写真をたくさん携えて来られます。私たち「河村市長『南京虐殺否定』発言を撤回させる会」も、虐殺の写真展示の他、中国長春の档案館発行の本「鉄証如山」を展示する計画を練っています。関東軍憲兵隊の悪逆非道の確実な証拠を見てもらいます。CRIOnlineや中華網の中央档案館の資料のうちの、「日本人戦犯の中国侵略に関する供述」は、ただただ心痛み、辛い思いで読みました。

過去の経験を教訓として、以後同じ問題が起きないよう注意する必要がある。歴史を明確に認識し、鏡としてこそ、戦争という悲劇を繰り返すことを防ぎ、世界において末永い平和と安定を実現させることができる……と中華網の記事は言っています。


中学生たちが、戦災で焼け残ったピアノの伴奏で、平和の歌を沢山歌いました。CCTVも取材中

 日本に「中国帰還者連絡会」という組織があります。この会は、1956に中国から帰国した約1000名の元将校、兵士あるいは憲兵たちによって結成されたものです。旧ソ連軍の捕虜となり、5年間の苛酷なシベリア抑留生活の後、「戦犯」として中華人民共和国に引き渡されました。彼らは6年間、撫順戦犯管理所で過ごしました。撫順における待遇は、「戦犯といえども人間であるから、彼らの人格を最大限に尊重せよ」というものでした。それは、彼らが過去を反省して鬼から再び人間に戻ること。あらゆる意味で困難を極めました。

 「撫順の奇跡」として語り継がれる話を私たちは知っています。1956年に始まった軍事法廷は戦犯の大多数を起訴せず、起訴された者も死刑はゼロでした。周恩来の言葉が生きていたのでした。「侵略の罪を自覚し、もう二度と中国には剣を向けないと誓った彼ら全員が生きて日本に帰り、そして同じ日本人に彼らの体験を話して聴かせるとする。これは私たち中国人が日本人に語るよりもっとずっと効果があろう。寛大政策の正しさは、必ずや未来に証明されるはずだ。」


今年の4月に発売された「鉄証如山」を展示して、説明したり議論したりしました

 はたして彼らは、帰国後中帰連を結成し、中国で行った戦争犯罪の事実を世に知らしめる本を次々と出版して、大きな反響を呼んでいたのです。

 こういう事実を知る日本人は残念ながら少数派です。特に若い世代にはなかなか伝わりにくいものがあります。私も戦後に生まれ、何も知らないまま成長しました。しかし、日中戦争に参加した父が書き残した記録で、大陸で日本軍が何をしたかを知りました。 (写真提供:坂東弘美)

 名古屋市には、民間の「ピースあいち」http://www.peace-aichi.com/introduction.html  という戦争資料館が有り、1年を通してボランティアが懸命な活動をしています。全国にも色々な戦争資料館が有り、日本の市民が地道に平和のために頑張っていることも理解してほしいと思っています。私が今、日中、いや世界の平和のために大海の一滴に過ぎない活動をしているのは、次の世代に伝えていきたいという気持ちがあるからです。侵略の残虐な記述を読むのは、反吐を吐く想いです。重く辛いのです。ただ、感想を聞かれれば、「生ある限り、日本軍が中国やアジアでしたことを伝えていきます」のみです。

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