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若者に伝えたい本当の歴史

2014-08-13 12:54:53     cri    

――未来を見すえた中日関係について、皆さんの考えをお聞かせください。

藤田 私は1947年の生まれ。父は戦時中、ノモンハン・中国華北・シンガポールに行っていました。私が大学生の頃、父にそのことを聞こうとしましたが、もう涙、涙で何もしゃべれない。父の遺言は、自分は中国大陸で戦争に行った時、神も仏もない、この世の地獄を見たので、自分の骨は畑なり庭に播いてくれと言っていたので、無宗教で葬儀を執り行いました。父の悲しみを、平和がどれほど大切なのかを、私は息子たちに会うたびに伝えています。

 父が受けた悲しみを繰り返させてはならないとの思いから、私は微力ながら、蘇州大学の学生たちとの交流会に参加したり、学生の皆さんが訪日する際のホームステイ先になったりしています。  

粟屋 僕の父は千葉県館山の海軍砲術学校で教官をしていました。1945年6月に、ルソン島のピナツボ火山の近くでゲリラと交戦中に死亡しました。僕が1歳の時です。父の死んだ場所は詳しく知らないので、ピナツボ火山の近くへ行って、花を置いてきて、それで何とか供養ができたのかなと思っています。

 こんな私に、7月に二人目の孫が生まれます。孫たちの代のことを考えると、日本の政治はもっと平和意識を強めなければいけないと思います。いますぐに日中関係が良くなるとは思わないが、是々非々主義でやっていくしかないと思います。

 僕が上海交通大学の学術顧問になったのも、日本と中国の関係にほんの小さな穴でもよいから、風穴を開けたいという願いがあるからです。  

村田 日本と中国は、口先の友好だけではなく、おかしいことはおかしいと率直に言える間柄になってほしい。私はこれからの日中友好を発展させる上で、二つの「4分の1」を大事にすることを提案したいです。

 まずは中国の日本語学習者です。国際交流基金の調査では、世界の日本語学習者は398万人。うち、約4分の1を占める105万人が中国にいます(2012年)。

 もう一つは、日本の人口の4分の1を占める高齢者(65歳以上の人。ここの4人とも該当します)のことです。彼らは経験が豊富な上、子育てからはすでに解放され、社会貢献をしたいと思っている人が多くいます。このような人たちに、日中の若者の相互理解を深めるためのけん引役になってほしいと思っています。

宮内 日本全体に中国への固定観念が強まっている今は、逆に言えば、日本を考える上での一つのチャンスになると言えます。実際に中国に来て、中国の学生と交流してみると大きな落差に気づく。そこから日本の社会や将来について改めて考える大きな触発を受けることになります。

 青年同士、特に日本の青年が中国に来るきっかけを増やせば増やすほど、日本社会を健全に支える青年たちが増える。これは中国と日本の接点を増やす上での、非常に重要な点だと思います。

   (構成=王小燕 写真=王衆一)

『人民中国』2014年8月号掲載記事

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