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一時間目 世界遺産めぐり、北京の司馬台長城

2014-07-25 17:27:31     cri    


世界遺産めぐり、北京の司馬台長城

 一時間目は、世界遺産に登録された北京の司馬台長城をご紹介します。

 万里の長城の「万里」は、約500キロだといわれています。しかし、考古学者の研究によれば、現在までに発見された長城の遺跡を加算していくと、なんと約5キロにもなるといいます。中国の新疆、甘粛、寧夏、陝西、山西、内蒙古、北京、天津、河北、山東、河南、湖北、湖南、黒竜江、吉林、遼寧など、16の省、直轄市、自治区に遺跡が残っています。

 長城の築造はいつ始まったのでしょうか。史書には紀元前656年、斉の国王、桓公が諸国を率いて楚を攻め、楚は方城を築き、敵を防いだとの記述があります。斉の桓公は最後には退軍を余儀なくされました。専門家は、方城が万里の長城の始まりであるといい、長城の歴史は2600年以上ということになります。

 長城が紛れもない「万里の長城」となったのは、秦の始皇帝が6つの国の統一を成し遂げてからです。紀元前221年、秦は中国史上初の強大な中央集権制封建国家を樹立しました。始皇帝は、国境を固め、北方の匈奴を撃退するため、紀元前215年、将軍・蒙恬が率いる30万の大軍を遣わしました。その後、30万の兵士と50万の人夫を徴用し、9年をかけて、秦、趙、燕の三国が築いた長城の基礎の上に、西は臨とう(現在の甘粛省岷県)から東は遼寧東部にいたる五キロを超える長城を築きました。

 秦以降、漢、北魏、北斉、北周、隋、遼、金、明と各王朝で長城の築造が続きました。明代の初代皇帝である朱元璋は北方のタタール族と東北地方の女真の脅威に備えるため、建国直後から長城の築造を始めました。以来百年をかけて、西は甘粛省嘉峪関から東は遼寧省鴨緑江にいたる長城を整備しました。今、比較的保存状態がよい長城は、ほとんどが明代に築造されたものです。嘉峪関、山海関、八達嶺、居庸関、古北口、いずれも絶景を誇る有名な場所ですが、なかでも古北口長城の一部、司馬台は、壮大な眺めで知られています。長城の神髄と言っていいほどです。

 司馬台は北京中心部から東北へ約140キロ、密雲県と河北省らん平県の境にあります。明の時代、1368年に築造が始まり、今日まで当時の長城の様子をとどめています。5.4キロにわたる長城に、35の敵楼(敵を見張るために守備兵が住むほか、食糧、武器の貯蔵庫としても使用する建物)があります。1987年、ユネスコは司馬台を含む万里の長城を世界文化遺産に指定しました。

 司馬台長城は、鴛鴦湖を境として、東西に分けられます。東と西を比較して、西は秀麗、東は荘厳な味わいがあるといわれます。このことから、一方が女長城、一方を男長城といわれています。

 西に登ると、長城は山の連なりに沿って複雑なカーブを描きながら走り、そこには18の敵楼が建てられています。ある場所は上に伸び、ある場所は下に伸び、ダイナミックな変化が素晴らしい長城です。司馬台は、後に修復されていないので、今も600年前の様子をそのまま留めています。

 司馬台の敵楼には様々な特色が見られます。敵楼は一層、二層、三層と楼によって階数が違います。おそらく当時それぞれの敵楼を守った軍人の位の違いによるのではないかと思われます。敵の様子を偵察したり、矢を射ったりするために、敵楼には射眼があります。この数も少ないものは1ヵ所、多いものは5ヵ所になります。現地の人々はこれらの敵楼を区別して、単眼楼、双眼楼、三眼楼、四眼楼、五眼楼と呼んでいます…

 皆さん、北京では、万里の長城が何ヵ所もありますが、是非、特徴ある長城、司馬台長城を訪れてみませんか。

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