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世界遺産めぐり、清王朝の皇族の陵墓・東陵
清の東陵は、1661年に第3代皇帝・順治帝の孝陵を着工してから、1908年に西太后の定東陵が完工するまで、あわせて247年もの歳月をかけて建築されました。
ここには順治孝陵、康煕景陵、乾隆裕陵、咸豊定陵、同治慧陵という5人の皇帝と15人の皇后、141人の妃が眠っています。陵墓の建築面積は113万平方メートルで、中国最大の建築群といわれる北京の故宮よりも、10万平方メートルも大きいのです。中国に現存する皇族陵墓群のなかでは最大規模、システム化され、完全なまでに保存された建築群となっています。
清の東陵に埋葬された皇族のなかには、清代の歴史に大きな影響を与えた人が多くいます。たとえば、清の太宗・皇太極の妃で、のちに2人の幼い皇帝(順治と康煕)を補佐した女性政治家の孝庄文皇后。また、清朝の繁栄を築いた康煕帝と乾隆帝、さらに二代の幼い皇帝に代わって政権をにぎり、48年もの間、清朝を支配した西太后などもそうです。
清の東陵陵墓群の中央に置かれた陵墓が、中国を制覇した第一代の皇帝・順治帝の孝陵であり、ほかの皇帝陵は年代順にしたがって、その左右に扇形に並べられました。
皇后と妃の陵墓は、それぞれ当時の皇帝陵墓のかたわらに建設されました。また、皇后陵の神道(墓前に通ずる道)は、いずれもそれぞれの皇帝陵の神道に通じていますが、各皇帝陵の神道も中軸線上の孝陵の神道とつながっており、それは巨大な木の枝のように並んでいます。これは、清王朝がいつまでも発展しつづけ、子々孫々繁栄していくことを意味しているのです。
全長5500メートルの孝陵の神道は、清代の皇帝陵のなかでは最長・最大で、最も芸術性に富むものです。神道には順に、大牌坊(大きな鳥居形の建物)、大紅門、功徳碑楼、石像生(人や動物の石像)、竜鳳門、隆恩門、隆恩殿、明楼、宝頂が並んでいます。木造のようにみえる白石の大牌坊は、幅31.35メートル、高さ12.48メートル。表面には麒麟、獅子、竜、吉祥の獣などが刻まれ、その素晴らしい彫刻技術は中国でもまれに見るものです。立っているものと伏せている馬、ゾウ、ラクダが各一対、また立像と座像の麒麟、獅子が各一対です。これらの石像は、神道の両側に800メートル以上もの勇ましい隊列を組んでいます。皇帝陵にいっそう厳粛な雰囲気を与えます。
裕陵は乾隆帝の陵墓です。この陵を建設したころは、国が隆盛をきわめた時期でした。そのため、全国の職人がここに集まり、多額の資金を投入した巨大プロジェクトです。
裕陵の地下宮殿はすでに発掘されましたが、そのなかのあらゆる壁、天井、門楼などには、仏教をテーマとした彫刻がびっしりと施されています。仏像、供養人、神獣、法器、経文などです。仏教を信奉した乾隆帝は、これらの神仏に伴われ、保護してもらいたかったのでしょう。これまでに発掘された中国の地下宮殿のなかで、こうした仏教彫刻があるのは裕陵だけです。そのためここは「石刻芸術の宝庫」と称されています。
定東陵は、清の東陵のなかでは最後に建設された陵墓です。普祥峪と普陀峪に分けて建てられた二つの陵墓からなり、それぞれ咸豊帝の東太后と、幼い皇帝に代わり48年間も中国を治めた西太后が葬られたところです。
西太后は、定東陵が完成した16年後にその権力を利用して、「(建設後)長い年月が経ったので、補修が必要である」という理由で、陵墓をさらに13年間にわたって修築させました。そのため、それはより美しく、豪華なものとなったのです
定東陵にある「竜鳳図」は、いずれも鳳凰を上、竜を下としたデザインになっています。竜が上、鳳凰が下という、竜を主とした伝統的なパターンに反していますが、そこからは西太后の強い権力欲がうかがえます……
みなさん、もし興味があれば、世界遺産に登録された清王朝の東陵にお越しくださいね。
東陵近くの観光スポットと遵化市のグルメ
二時間目は、河北省遵化市の地形や気候などの基本情報をご紹介します。その後、東陵へのアクセス方法などをご紹介します。その次は、東陵近くの有名な観光スポット・万佛園や湯泉温泉リゾートをご紹介します。さらに、現地の代表料理、劉美焼鶏、栗と羊肉の醤油煮をご紹介します。ぜひお聞きください。(任春生)
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