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北京の頤和園は、中国の典型的な皇室庭園であり、中国歴史上、最後に建造された皇室庭園です。1998年12月に、ユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。
頤和園は、北京市の西北郊外に位置し、清代の繁栄期である乾隆年間(1736~1795年)に建造されました。乾隆帝は、自然の風景がとても好きで、庭園造りも趣味でした。この頤和園の施工平面図や立体模型は、すべて、乾隆帝が審査していました。頤和園は1750年に着工、15年を経て、1764年に竣工しました。
乾隆帝が手がけた頤和園は、歴代皇帝と同様に、その思想と好みによって造られました。乾隆帝の造園思想は「天人合一、皇帝権力至上の思想」「長寿不老の仙人思想」「快楽の思想」を合わせたものです。そのため、頤和園は歴代皇室の庭園や個人庭園、山や川、著名な寺院の神髄を融合させて、中国の典型的な庭園の代表作となったのです。
頤和園は面積290ヘクタール、万寿山や昆明湖などで構成されています。園内の各種宮殿や庭園建築には、合わせて3000あまりの部屋があり、その用途によって執政、居住、遊覧の3つの活動エリアに分けられています。
昆明湖はもともと、北京の西北郊外を流れる泉水が注ぎ込み、できた湖です。乾隆帝が頤和園を建造したとき、現在の規模まで拡大しました。その水面は、頤和園の総面積の4分の3を占め、220ヘクタールに達しています。湖上には東堤、西堤、南湖島、十七孔橋などの美しい景観があります。
高さ58.59メートルの万寿山は、頤和園を代表する風景です。燕山の余脈に属した小山で、その昔、昆明湖拡大のために掘り起こした土が、山の東西両側に積み上げられました。それが対称的でなだらかな坂をもつ、いまの姿になったのです。
昆明湖の南から西にかけて、「西堤」と呼ばれる1本の堤が築かれています。西堤の上には各種の亭橋(東屋をもつ橋)がありますが、それは乾隆帝が杭州西湖の蘇堤を模して造ったものです。ここは一片の田園風景で、乾隆帝は昔、ここに「耕織図」という直筆からなる碑を残しています。
昔、皇帝や皇后たちは、長河という川に沿って、船に乗って、頤和園に来ました。現在は昆玉河と改名された河が整備され、北京市街区から船に乗って、川の両岸の美しい景色を楽しみながら、頤和園に行くことができます。
皆さん、北京に来られたら、紫禁城、万里の長城を観光するとともに、是非、世界文化遺産に登録された頤和園も訪れてくださいね。
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