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世界遺産めぐり、明代の皇帝陵墓・十三陵
明の十三陵は、北京の西北郊外、市の中心部から約50キロ離れた燕山山脈の支脈・天寿山という山の南麓にあります。中国に現存する最大の皇帝陵墓群です。東、西、北の三方を山に囲まれ、すばらしい地理環境に恵まれています。
十三陵は燕山山脈の支脈を「衝立」に、こんもりと茂る緑の中に点在しています。
明の時代、1398年、明の太祖・朱元璋が亡くなり、孫の朱允文が皇位を受け継ぎました。当時、各地の藩の勢力が絶大であったため、朱允文は中央政権を守るため、藩の勢力を弱める政策を取ったのです。しかし、それは、藩主の利益を脅かすことになりました。そのころ、大軍を率いて帝位を奪い取ろうとしていた朱元璋の4人目の子供、燕王・朱棣は「朱允文の政策に同意できない」と、それを口実に兵を起こし、都・南京を攻めはじめました。4年の戦いを経て、朱棣は、南京城を攻め落とし、朱允文の帝位を奪い、明の成祖・永楽帝となったのです。
朱棣は、卓越した政治能力をもつ皇帝です。皇帝となった後、1404年から1420年まで、大量の労働者を使って、紫禁城を建設しました。そして、1421年に北京に遷都し、北京はその時から中国の政治、経済、文化、軍事の中心になったのです。
北京に遷都する前、永楽帝は1409年、北京の郊外に陵墓建設の場所を選び、その陵墓「長陵」の工事をスタートさせました。
明代の276年間には、16人の皇帝がいました。太祖の朱元璋は南京に葬られました。次の皇帝・朱允文の行方は知れず、代宗・朱祁ギョクが北京の金山に葬られましたが、その他の13人の皇帝はこの天寿山に埋葬されました。
十三陵は、朱棣の長陵を中心として、その他12の陵墓が東西の両側に点在しています。陵墓の規模はそれぞれ異なり、そこから陵墓の主の歴史背景や暮らしぶり、性格などが伺えます。
長陵の主は明代の全盛期を築き上げました。13の陵墓の中でも最大です。「献陵」、「景陵」の主は、かつて朱棣とともに中央政権との戦争に参加した子孫で、天下取りの苦労をじゅうぶんに味わっています。陵墓はわりと簡素です。「昭陵」、「徳陵」は、主の死後にようやく建てられたものです。「慶陵」、「思陵」は、他人の陵墓を利用して皇帝を葬ったため、その規模は小さいものでした。ほかの6つは、いずれも豪華なものです。
十三陵一帯の陵墓群から南へ7キロ下ったところに、6本の柱と5つの門、11の棟をもつ大理石の「石碑坊」がそびえ立っています。これが、十三陵の南端にある最初の建築物です。その碑坊の北側が三つの門をもつ「大紅門」で、これが陵墓エリアの正門です。この門をくぐり、陵墓エリアに入るのです。大紅門の門前にある石碑には、役人はここに至りて下馬せよという8文字が刻まれています。かつて大紅門の左右には、長さ40キロの壁が巡らされ、それは陵墓を取り囲んでいました。今ではほとんど崩れ落ち、残壁しか見られません。
大紅門をくぐると、長陵に向かう参道です。この参道にある最初の建物は、高さ25.14メートルの「碑亭」で、亭内には高さ7.91メートルの石碑「大明長陵神功聖徳碑」が建てられています。石碑には3500字の碑文が刻まれています。これは明の仁宗・朱高熾が、その父、朱棣のために作ったものです。
敷地面積10ヘクタールの「長陵」は、十三陵を代表する最大規模の陵墓です。1409年から4年をかけて完成し、すでに600年の歴史があり、十三陵の中でももっとも保存状態がよい陵墓です。
とりわけ、その享殿は、明の皇帝陵の中で唯一、今に残る神殿です。本堂の幅66.56メートル、奥行き29.12メートル、高さ25.1メートル、総面積は1956平方メートル。明・清代の宮廷、紫禁城の太和殿の規格によく似ています。
長陵のほか、もっとも特色のある陵墓は、「永陵」と「定陵」です。永陵は、明代の第10代皇帝、世宗・朱厚照と皇后、2人の妃の合葬墓です。規模の大きさは、長陵に次ぐものです。しかし、現在は、ほとんど、崩れました。今、ほぼ完全な姿で残っているのは明楼だけです。
思陵には明代最後の皇帝・朱由検が葬られています。李自成の農民蜂起軍が北京城を攻め落とした際、朱由検は紫禁城北側の煤山で首をつって自殺しました。のちに清代の統治者が、朱由検の皇后の墓に、彼を埋葬しました。
定陵は、明代の第13代皇帝、神宗・朱翊鈞と、彼の皇后と妃の合葬墓です。十三陵の中では唯一、発掘された陵墓です。朱翊鈞は、在位年数が最も長い皇帝です。在位は48年に及びましたが、贅沢な暮らしをした暗愚の君主です。その陵墓は、1584年に着工し、6年を経て、完成しました。費やされた白銀は800万両となり、当時の国家税収2年分に相当しました。
1956年5月、考古学者ら定陵の発掘をはじめました。1年をへて、地下に埋没している強固な壁の中に、墓室に入るためのアーチ型の門をようやく見つけました。
定陵の地下宮殿は、総面積1195平方メートル、前殿、中殿、左配殿、右配殿、後殿の5つの殿堂で組み合わされています。地下宮殿には一本の柱も梁もなく、天井はすべて石をアーチ型に組んだものです。後殿は最も高いところが9.5メートル、ほかの殿堂も高さ7メートルを超えています。その建設技術は、中国古代建築においても最高レベルに達しているといわれています。
地下宮殿から出土した文化財には、金、銀、陶磁器、玉、絹織物などがあります。現在、これらの文化財は、長陵と定陵の陳列室にそれぞれ展示されています。
明の十三陵は、万里の長城(居庸関)からそれほど遠くはありませんから、みなさん、万里の長城を見学してから是非、世界文化遺産にも登録された明の十三陵にも足を伸ばしてくださいね。
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