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松岡環 南京大虐殺の真相を追い求める日本人学者

2014-05-08 13:53:04     cri    

 やや老いの目立つ顔には、時おり子供のような笑顔が浮かびます。松岡環(67)さんは、南京大虐殺の研究で知られる女性学者の一人で、歴史の真相を20数年に渡り追い続けています。

 松岡さんは大阪府松原市の小学校教師でした。歴史を専攻していた松岡さんは、1988年に南京市を訪問し、日本軍の第二次世界大戦中の暴行に衝撃を受けました。松岡さんは良心に駆られ真相を追求するため、南京大虐殺の民間調査を開始しました。日本で250人以上の元兵士を取材し、自費で80数回も中国を訪れ、300人以上の大虐殺の生存者と面会しました。松岡さんの努力により、南京大虐殺の真相が、よりはっきりと日本の一般人の前に示されようとしています。

 松岡さんは、自ら監督したドキュメンタリー映画「南京 引き裂かれた記憶」を携え、2014年4月5日に再び南京市を訪れました。抗日戦争中の南京会戦、その後起きた大虐殺の惨劇を記録した同作品の中国初となる上映会が、松岡さんのプランで、この記憶が残る都市で開かれました。

◆沈黙の中、真相を求める

 同作品は日本の7人の元兵士、中国の6人の生存者による真実の物語を主線とし、中日双方のアングルからあの恐るべき惨劇を再現しました。同作品は歴史の事実により、南京大虐殺の恐ろしさを後世への教訓として示しました。同作品の序言に、松岡さんは次のような注釈をつけました。「この事件の証拠は国際裁判所に採用されており、中国ばかりでなく世界の歴史にも記録されているが、日本史には存在しない。実におかしなことだ」同作品の登場人物は皆、松岡さんに取材を受けたことがあります。日本国内での取材は想像以上の難しさでした。これは「南京大虐殺は存在しなかった」という声が存在し続けており、自らこれに加わったと認める人がいないからです。敗戦時に情報がすべて焼却処分されたのと同じく、南京でやったことを口にしてはいけないという口封じが今も力を発揮し続けており、自ら証言しようとする人はいません。

 松岡さんは1997年10月に6都市で、「南京大虐殺ホットライン」を3日連続で開設し、電話で情報を収集しました。その結果、ついに13人の元兵士から、南京大虐殺の資料を得ることができました。松岡さんは電話で得た資料を踏まえ、地方の図書館の戦争の記録、各連隊・中隊の戦友会の名簿を調べ、旧日本軍の元兵士を探し始めました。元兵士の自宅を訪問し、「南京のことについて質問したいのですが」と言うと、老人たちは口を閉ざしました。そこで松岡さんは戦争の苦しみから質問を始め、大阪や京都などの元兵士の家を一軒一軒訪問しました。

 奥山みどり記者は同作品の鑑賞後、「南京大虐殺について、(日本の)ある人は否定的な論調を展開している。しかし取材に応じた元兵士は、これらのすべてが起きたことであり、口にしようがしまいが、確かに(大虐殺が)存在したことを証明した。男性ならば銃殺し、女性ならば老若を問わず強姦した。これは天子様の赤子と呼ばれる、日本兵のイメージだ。これらの証言は常に私たちの胸に突き刺さっている。証言は歴史の真相の扉だけでなく、人の心の扉を叩いている」と指摘した

◆驚くべき内容の著書

 あの痛ましい歴史の研究について、同作品は松岡さんの唯一の成果ではありません。松岡さんは2002年に、8月15日という特殊な記念日を選び、南京大虐殺の証言集「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言」を刊行しました。

 同書は102人の元兵士の証言を通じ、南京大虐殺の経緯を記録しており、その文字と写真は衝撃的な内容となっています。そのうちの一部は、松岡さんが1999年に、85歳の元兵士の佐藤睦郎さんに対して実施したインタビューです。佐藤さんは当時を振り返り、「(私たちは)九二式重機関銃で、対岸に逃げる数千人の人々を撃った」と語りました。佐藤さんは旧陸軍第16師団歩兵第33連隊第1機関中隊の兵士で、南京侵攻に参加しました。「揚子江のほとりで、私たちは数千人の川辺の人々を包囲した。ある中隊の8挺の重機関銃が、密集した人々に向かい火を吹いた。(私たちは)角度を変えて掃射し、命中した場所では人の壁が崩れた。彼らは必死に白旗を振り、私たちも哀れだと思った。私たちは小隊長の命令に従ってやったが、この命令(中国人を皆殺しにする命令)は師団から出されていたはずだ」

 ある中国の歴史学者は同書を読んだ後、「この373ページにも及ぶ本のうち、95ページは南京の日本軍がいかに中国人女性を陵辱したかを記録している。その部分については、今でも開く勇気がない。私は日本の極端な右翼が宣伝している、南京大虐殺は嘘という説が真実であればと強く思っている。わが国、わが国民はなぜ、この名状しがたい惨劇に耐えなければならなかったのか」と心の声を漏らしました。

 同書のより重要な意義は、戦争を経験したことのない多くの日本人が、南京でかつて起きたことを初めて知ったことにあります。数え切れないほど多くの日本人が、衝撃と黙考の中に浸っています。

 松岡さんの信念に感化され、ある日本の元兵士が2007年に彼女と共に南京を訪れました。彼は中国人から責められるのではと懸念していましたが、実際にはそんなことはありませんでした。南京を訪れた彼に対して、多くの大学生は勇気あると言い、彼を取り囲み握手しました。この老人は、「平和はすばらしい」と語りました。

◆右翼からの攻撃も日常茶飯事

 松岡さんは南京大虐殺の問題で、自らの観点を貫いています。この歴史と正義を守る女性学者は、日本の一部の過激分子によって「反日」のレッテルを貼られ、右翼の攻撃の対象になっています。彼らは松岡さんの仕事先や集会場で公然と騒ぎを起こしており、ネット上での攻撃も日常茶飯事となっています。さらには、松岡さんが中国人から金をもらっていると貶める内容もあります。「私の仕事は、特に歴史修正主義者によって誹謗中傷され、侮辱を受けている」

 「南京 引き裂かれた記憶」が日本で公開された際に、週刊新潮は記事の見出しに、右翼団体が松岡さんにつけた「反日」という罪名を使いました。右翼団体・一水会の鈴木邦男代表は、「この映画について聞いた時に、命知らずかと思った」と語った。試写会の来場者とゲストはさらに脅迫電話を受けた。初公開当日、警察署は警官を映画館に派遣し、警戒に当たらせた。同作品のもう一人の監督である武田和倫氏は、「抗議活動を先に目にすると思ったら、先に目にしたのは警察だった」と複雑な心境を明かしました。

 日本の一般人は右翼を、話ができない過激分子としています。しかしさまざまな挑発や脅迫に直面しながらも、松岡さんは尻込みせず、落ち着いて彼らと議論しようとしています。松岡さんと同僚は、鈴木氏と1時間以上に渡り対話しました。

 この誠意があったからか、同作品は順調に公開されました。「映画を見てから抗議する」つもりだった鈴木氏は、「映画を見てから、証言者は加害者でもあり、被害者でもあると感じた。私もあの悪魔の時代に兵士をやっていたら、命令に従いやっていたかもしれない」と語りました。鈴木氏はまた、「この映画を見た私は、右翼から裏切り者扱いされるかもしれない」と苦笑しました。

 67歳の松岡さんは、中日間の歴史に足を踏み入れることは、苦しみに満ちた川を渡るようなもので、歩くほど深みにはまり、希望を失うことを理解しています。松岡さんの友人、米国人の華僑作家の張純如(アイリス・チャン)は2004年、歴史の痛みに耐え切れず自殺を選択しました。松岡さんは、これでさらに孤独になったと感じました。しかし孤独は彼女に妥協ではなく、より毅然とした態度を持つことを強いました。「私の仕事は歴史を明らかにするためだけではなく、罪深い戦争を二度と起こさないためだ。これは中国のためだけではなく、日本のためでもある」松岡さんは、「一国が自分の過ちを公にすることを避け続ければ、真相が明らかになった日には、もう取り返しがつかないことになっているかもしれない」と常々口にしています。彼女の使命は、この世に警鐘を鳴らし続けることです。

 中国人はこの不屈の女性学者を、「日本の良心」として高く評価しています。

 「人民網日本語版」より

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