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世界文化遺産、蘇州庭園
一時間目は、世界文化遺産に登録された蘇州庭園をご紹介します。
世界文化遺産、蘇州庭園
江蘇省蘇州市にある4つの古い庭園――拙政園、留園、網師園、環秀山荘は1997年12月4日、世界文化遺産リストに登録されました。3年後の2000年11月30日、蘇州の滄浪亭、獅子林、芸圃、グウ園、退思園の5つの古い庭園が、更に世界文化遺産リストに追加登録されました。
蘇州は、2500年以上もの歴史をほこる古い町です。最も古くは春秋時代に、呉の国がここに都を築きました。
蘇州の庭園は、「皇帝庭園」と「寺院庭園」、「個人庭園」の3つの種類に大別され、現存するものの多くが個人庭園です。それは、後漢の時代に現れ、唐代に流行し、宋・元代に発展し、明・清代に最盛期を迎えました。
現存する庭園の中で、最も古いのが滄浪亭です。滄浪亭はもともと五代十国時代に、呉越の国のある皇族がつくった庭園の遺跡です。1044年、北宋時代の役人、蘇舜欽が蘇州に左遷され、ここに住居を構えた際に、滄浪亭を買い取り、水辺にあずまやを築きました。滄浪亭という名は、中国古代の詩人・屈原の『楚辞・漁父』という文書から取られたようです。
拙政園と留園は、蘇州を代表する庭園です。それは北京の頤和園、河北省承徳市の避暑山荘とともに「中国の四大名園」と称されています。頤和園と避暑山荘は、いずれも清代に建てられた皇帝の庭園で、その広大な敷地と豪華な建物が、皇帝の位と権威を明示しています。
拙政園は、蘇州の中でも最大規模をほこる庭園です。敷地面積は5・2ヘクタール。頤和園など北方の皇帝庭園に比べると広さでは見劣りしますが、建築家たちがあずまやや楼閣、住居、築山、池、回廊などを、巧みなまでに組み合わせて配置しました。彼らは「障景」(景色をさえぎる)、「借景」(景色を借りる)、「換景」(景色を換える)などの技を使い、上下の空間を利用して対比を転換させ、庭園を歩く人に「一歩一景」、つまり、いたるところに素晴らしい景色があると思わせました。中国の古典小説「紅楼夢」の作者である曹雪芹は、少年時代に家族に連れられ、よくここを訪れたそうです。曹氏は、小説の舞台である「大観園」の描写は、ここでの印象が生かされていると言われています。
留園は、蘇州第2の規模をほこる庭園です。敷地面積は拙政園の半分にも及びません。明代・1593年に、造園がはじまりました。蘇州庭園の中でも、ここは建築物の配置にすぐれ、広間の華麗さ、空間配置の巧みさなどでも有名になったのです。
留園の石や広間、回廊は、時間があればじっくりと味わうべきです。石とは、園内の東エリアにそびえる太湖石(穴やくぼみが多く、築山や庭石に利用される太湖産の石)からなる「冠雲峰」を指しています。北宋の時代に江南で珍しい木や石を集め、大運河を通じて、今の河南省開封市の都に輸送した時、残ったものです。蘇州では、造園に太湖石はつきもので、人々は太湖石を「峰」と呼んでいます。
留園をさらに進むと、700メートルあまりの長い回廊があります。雨に濡れたり、日焼けの心配もなく、1年中いつでも、園内のどこでも行くことができ、鑑賞することができます。蘇州の庭園で、このような回廊があるのは、ここだけです。
敷地面積がわずか0・73ヘクタールのグウ園は、ある夫妻の庭園です。清の時代、江蘇・安徽・江西地方の総督代理の沈秉成が引退後、夫人とともに蘇州に移り、隠居する際、この庭園を買いとりました。夫婦二人が隠居して、仲むつまじく暮らすという意味合いで、庭園は「グウ園」と名付けられました。
その名が示すとおり、園内の景色はいたるところ、「夫婦」への思いや理想が込められています。詩や、現地の地方劇、崑曲に親しんだ夫妻は、ここでの8年の隠居生活に、多くの詩と絵を残しました。
園内の西の庭の回廊には、「枕波軒」という小さな広間があり、広間の東の窓の上には「枕波双隠」という文字を刻んだレンガの横額があります。また、その両側には、対聯(対になっためでたい文句)を刻んだレンガが、嵌め込まれており、いわく「グウ園住佳偶, 城曲築詩城」(グウ園に住むよい夫婦、庭園に作詩の部屋をつくる)とあります。グウ園の女主人の手によるものだといいます。対聯は、この庭園の主人の造園の趣旨を示すとともに、ロマンチックな愛の物語も伝わってきます。
皆さん、お時間があれば、是非、世界文化遺産の蘇州庭園を訪ねてくださいね……
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