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二時間目 中国の旅DX

2013-12-06 21:41:30     cri    

中国世界遺産めぐり、重慶大足石刻


 中国にはいくつもの石窟、雲岡石窟、龍門石窟、莫高窟などがありますが、中でももっとも中国らしさがあるのが大足石刻です。大足石刻は他の石窟に比べ遅い時代に作られたものだからです。もともとインドから伝わって来た仏教文化である石窟は、インドからの影響を強く受けていました。それが長年中国で作られている間に中国化していったのです。この大足石刻には中国発祥の文化である儒教、道教の石像が多く残されています。また民間の風俗を表現したものも数多く残っており、中国ならではの雰囲気を伝えています。

 深い山の奥にあるため、大足石刻は交通の便がよくありません。このため、人的破壊を逃れ、これほど多くの石像を残すことができたのです。

 山の奥に隠れた宗教の世界には、世俗を離れた清い空気が残されています。では、今日の中国の世界遺産めぐり、重慶市の大足石刻をご紹介します。

 四川省から重慶市にかけて横たわる四川盆地に、めずらしい古代石刻のギャラリーがあります。そのほとんどが広元、成都、楽山、安岳、巴中、潼南、栄昌、大足など、20数カ所の県と市に集中しています。石像はあまりにも多く、その総数は計り知れません。とりわけ集中しているのが重慶市大足県で、合わせて5万体以上の石像があるということです。1999年12月1日、大足石刻はユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。

 大足石刻は重慶市大足県にあり、重慶から約120キロ、バスで約2時間ですが、成都からは約280キロ、4時間半ぐらいかかります。大足石刻は殆ど唐代から南宋時代までにできた仏教関係の石刻で、大足県の宝頂山・北山・南山・石門山・石篆山などに集中していますが、今まで発見された仏像の石刻は10万体を超えています。一番集中している所は宝頂山と北山で、それぞれ仏像が1万体ぐらいあるそうです。1999年の12月、宝頂山と北山の仏像石刻が世界文化遺産に登録され、今では重慶のもっとも有名な観光地になりました。

 なぜ大足でこんなに沢山の仏教像が造られたのかを知るには、当時の中国の社会事情を説明しなければなりません。唐の時代の末期、安史の乱の打撃で、唐王朝中央政府の力は大分弱くなったことで、地方には色々な軍閥が出てきました。人口と土地を我が物にするため、軍閥間で度々戦争が起こりました。中国黄河辺りの北方辺りは特に戦争が多く、民は生活できなくなったのです。そこで、沢山の農民や、学者、僧侶、彫刻師などが戦争を避けるために、当時比較的戦争が少なく、安定していた南方の四川省に逃げてきたのです。特に大足と安岳辺りは当時の四川省の政治、経済、文化の中心地で、また交通の要所だったため、多くの人がその辺りに住むようになりました。南方に住む人々は戦争が早く終るように、また、南方で戦争が起こらないようになどの願いを込めて、皆でお金を出しあい、北方からやってきた僧侶と彫刻師に頼んで、仏像を造らせました。そこから、唐末期から南宋時代までの凡そ400年間の仏像彫刻運動が大足とその周辺の県で続きました。できあがった仏像は今まで見つかっただけでも10万体ほどに上ります。また、大足の隣の県・安岳県にも10万体ほどの仏像が発見され、周辺の仁寿県、簡陽市、資陽市、楽山市などにも数多い仏像彫刻が見つかりました。

 先ほどもご紹介しましたが、重慶市の五つの山には、仏像が彫られています。その中の有名な観光スポットをご紹介しましょう。

 まずは宝頂山石刻

 大足県から約15キロ離れ、約1万体の仏像が彫刻された世界遺産です。紀元1174年~1252年、当時四川省で流行っていた密教の教主・趙智鳳が主催し、凡そ70年間をかけて造らせた密教の道場ですが、主に三つの部分からなっています。 

 大仏湾:「U」字型をしている小さい山で、山の麓の長さ約500メートル、幅8メートルから25メートルの岩壁に8000体ぐらいの仏像が彫られています。東、南、北の岩壁に彫刻されていますが、それぞれ、金剛力士、六道輪廻図、華厳三製造、千手観音像、釈迦涅槃像、地獄変相図、報恩変相図、密教の修行図、円覚洞などです。芸術性と彫刻技術などの面から考えると、代表的なものは華厳三聖像、そして1007本もの手が彫刻された千手観音像、長さ31メートルもある釈迦涅槃像、十大明王像と一番芸術性が高いと言われている円覚洞です。大仏湾を全部見るには約1時間半かかります。

 聖寿寺:南宋時代の趙智鳳によって大仏湾の側に建てられた仏教お寺です。歴史上何度も戦争によってなくなったのですが、現存のお寺は清の康煕帝時代に建てなおされたものです。 

 小仏湾:聖寿寺中にあります。趙智鳳は当時お寺を建てた時、お寺の中に沢山の岩を運びこみ、それらの岩をお寺の仏殿の壁に貼り付けた後、岩の表面に沢山の仏像を彫刻しました。合わせて、2千体ぐらいあります。

 次は北山石刻

 大足県から約1.5キロ離れている北山にあり、バスで約10分ぐらいです。1999年に宝頂山と一緒に世界文化遺産に登録されました。唐の時代(892年)~南宋時代(1162年)の間に掘られた仏像が合わせて1万体もあります。宝頂山のように、1人の出資で作られた仏像群と違い、北山の仏像は地元の仏教徒が各自お金を出し合って、彫刻師に造ってもらったものです。同じ仏像が多いのが特徴です。観音菩薩、釈迦三聖、地蔵菩薩などの像が多くみられます。これも当時の人々の考えや念願が具現化したものだと思われます。

 また、唐の時代、五代十国時代、北宋時代、南宋時代の各時代の仏像があるので、それらの仏像を通して、各時代の経済、美意識、仏教の発展などがよく分かります。唐の時代の仏像は体が豊満で、豊かな顔付きをしており、また、衣装はシルク生地が多く、薄くて透明度が高いことから、唐の時代の明るい社会制度や人々の豊かな生活ぶりなどが伺えます。五代十国時代と北宋時代の仏像はまず全体的に規模が小さく、そして、観音菩薩と弥勒菩薩の像が圧倒的に多いため、当時の国と庶民の経済力の弱さがよく分かります。また、慈悲の観音様と喜びの弥勒菩薩の造像が多いことから、人々の、戦争に厭きた気持ちと苦難から救ってほしい思いが十分伝わってきます。

 南宋時代になると、仏像の規模はかなり大きくなり、また、彫刻技術も、芸術性も高くなっています。これは、当時の社会の経済の繁栄を示しています。また、仏像の装いも綿の生地が多く、肌が露出している部分が殆どないことから、当時の風俗習慣を反映する一方、儒教思想が当時中国の主流思想であることもよく分かります。さらに、仏像の造形、顔付きが人間らしくなってきているのを見ても、仏教の俗化の傾向がわかります。

 次は、南山石刻です。

 南山石刻は大足県から約5キロ、北山石刻からは約3キロ離れています。約300体の、大きな道教の神の像があります。造られた年代は南宋の1127年~1279年の間で、当時の南山にあった道教の修行者が彫刻師に頼んで造ったものだそうです。規模も比較的大きく、道教文化と発展を代表しているため、見る価値は充分です。

 皆さん、中国の仏教、道教、そして仏像芸術に興味があれば、是非、重慶市の大足にお越しくださいね……

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