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私の故郷は衢州です。竹には孟宗竹、赤竹や金竹など、いろいろな種類があります。「竹のふるさと」の異名をとる私の故郷は、山々に、川沿いに、そして庭の中にまで竹がいっぱいです。丈高くすっきりと立つ竹があります。小さくて可愛らしい竹があります。竹は生活の至るところどこにでもある風景です。
竹は生活になくてはならないものでもあります。竹で作った工芸品や日用品は故郷を潤します。また、竹は食の恵みです。わが家では、筍が最高のご馳走です。筍が出ると、皮を剥いて、よく洗って、薄切りにします。そして、唐辛子と卵と一緒に炒めます。あまりにおいしいので、私一人で家族の分まで全部食べてしまいたいほどです。笹の葉を利用して、竹茶を作ることもあります。竹茶は甘い香りが漂います。ゆっくり口に含むと優しい甘さが広がり、一気に飲み干せば喉から鼻にかけてふわっとした香りの余韻が残ります。
竹を見るたびに、子供の頃のことを思い出します。毎年、春の盛りになると、家の裏の山が竹で覆われました。遠くから見ると、まるで竹の海のようでした。祖父は竹が大好きで、よく私を連れて裏の山へ竹を見に、竹を楽しみに行きました。
その頃祖父はすでに六十歳を過ぎていました。額は禿げ上がり、浅黒い肌は雨に晒された滑石皮みたいで、いつも質素な着物を着た様子はいかにも田舎っぽかったです。しかし、全身からは精気が放たれ、毎日飛び歩いていました。
裏の山へ行くときはいつも、空は高く澄み、白い雲が浮かんでいました。祖父は籠を背負って、私の手を握って、ゆっくりと歩きました。竹に囲まれて、私たちはまるで緑の世界に入ったようです。竹葉はヒラヒラと舞い、地面には黄ばみかかった落ち葉がいっぱいで、それを踏むと、足の裏で音がしました。ときおり山鳥の鳴き声も聞こえてきました。また、風が竹林を通り抜ける際のざわめきも私の耳には心地よく響き、えも言えない風情を感じさせました。
しばらく歩くと、祖父は立ち止まり、「ごらん、あそこに竹の子が出ている」と叫びました。「えっ、どこどこ」私は興奮して周りを探しました。「あそこ」ゆび指した方を見て、「あっ、本当だ!」私は大声で叫びました。竹の海の奥に、竹の子がいっぱいありました。かわいい竹の子たちは地面から頭を出し、やさしい日光を浴び、ひっそりと生きていました。「知っているかい、竹には物語があるんだ。昔むかし、ある〝竹取り〟のお爺さんが、竹の中に小さな美しい女の子を見つけて……」祖父はゆっくりと語り始めました。この場面、この話は今も私の頭に残っていて、また一生忘れないでしょう。
いつの間にか、空がほんのり夕焼けに染まりはじめ、竹の海はその薄い光に浸かって昼間よりもっときれいで、もっと静かで、夢幻のようでした。そのとき、遠くから笛の響きが流れてくるのに、私は初めて気が付きました。
『晋書・杜預伝』に「破竹の勢い」という言葉があります。竹を割るとき、一節割ればあとは一気に割れることから来た言葉のようです。しかし、故郷の竹が私に与えるイメージは繊細で謙虚な強さです。竹は紫がかった白い小さな花をまばらに咲かせます。まるでたおやかな美しい女性のようです。また、竹は勇士のようでもあります。雨にも負けず、風にも負けず、元気よく真っ直ぐに伸びていきます。私はそんな竹になりたい。「竹の歌」にあった、「地下に根を張る」あの竹になりたい。竹になって、故郷を永遠に守りたい。
竹は私の生命を支えるかけがえのない存在です。雪の重みにも、激しい風にも折れない、しなやかな強さを持つ竹、謙虚に、かつ勇ましく生き抜く竹は私の祖父であり、私の故郷そのものです。
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