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【二時間目】 中国の旅DX

2013-09-13 17:38:31     cri    

世界文化遺産、甘粛省の莫高窟


 敦煌は、中国甘粛省の河西回廊の最西端に位置し、祁連山脈から流れてきた党河が氾濫してできた、沖積のオアシスであり、周りはゴビ砂漠と砂丘に囲まれています。敦煌は漢代からずっと中原から西域へ行く交通の要衝であり、有名なシルクロードにある重要な町です。

 敦煌は、東西を往来する旅商人が必ず通る東西貿易の中心地、中継点であり、漢代になって、中原と西域間の交通ルートが開通して以来、中原の文化は絶えず敦煌に伝わり、そこに深く根を下しました。西域と隣接している敦煌は、インド発祥の仏教文化を早くから受け入れ、西・中央アジアの文化も、インド仏教文化とともに、絶えず敦煌まで伝わってきました。中原文化と西域文化はここに出会い、融合してきました。

 莫高窟は、敦煌の東南25キロ離れた鳴沙山の東麓に位置し、前方は宕泉に臨み、東は祁連山の支脈である三危山に面しています。4世紀から14世紀まで、石窟を切り開く作業や塑像の制作が絶えず行われ、南北方向で約1680メートルの石窟群が形成されました。現在、歴代にわたり造営された石窟は合わせて735あり、高さ15~30メートルの断崖に、上下、1~4段に重なりあい、南北2つのエリアに分布しています。1987年、敦煌莫高窟は、ユネスコによって「世界文化遺産」に登録されました。世界遺産委員会は、「敦煌莫高窟は彩色塑像と壁画で世界によく知られ、千年に亘って続いた仏教芸術を示した」と高く評価しました。

 莫高窟は、もろい礫岩の断崖に作られているので、細かく彫ることができず、泥塑像と壁画が主な芸術様式となっています。彩色された塑像は、木の枠を骨とし、それを葦で縛り、草を混ぜた泥をその骨組みにつけ、膠を練った白い土を塗ります。そして細かい造型と彩色は、人物の肌や表情、服装の質感を表現しています。壁画の制作は、窟中の壁に草を混ぜた泥を2、3層塗り、絵の構図を決め、下絵を描き、色を施し、最後の仕上げをして完成します。莫高窟の石窟芸術は、建築や彩色の塑像、壁画が一体となった総合芸術です。

 敦煌の壁画は、それぞれの時代の民族、階層の社会生活、古代建築、造型および音楽、舞踊、雑技などを反映し、中国と外国との文化交流の歴史をも記録しました。西側の学者は、敦煌の壁画を「壁上の図書館」と賞賛しています。

 1900年、敦煌莫高窟では、大量の経文を保存した洞窟が偶然に発見され、「蔵経洞」と呼ばれました。長さと幅がそれぞれ3メートルであるこの「蔵経洞」には、漢語、チベット語などの文字で書かれた経典、古文書の巻物類、絹や紙、麻布に書かれた仏画類、拓本などまれに見る文化財などが5万件に上りました。年代は、紀元4世紀から11世紀にかけてで、その題材は中国、中央アジア、南アジア、欧州などの地域の歴史、地理、政治、民族、軍事、言語文字、文学技術、宗教、医学、科学技術などすべての分野に及び、「中古時代の百科全書」と称されました。

 蔵経洞の発見後、世界各国の「探検家」がこぞってやってきました。そして20年も経たないうちに、この「探検家」は4万件に及ぶ経書や珍しい壁画、塑像などを盗み出してしまったのです。現在、イギリス、フランス、ロシア、日本、インド、ドイツ、デンマーク、韓国、フィンランド、アメリカなどの国では、敦煌莫高窟の文化財が収蔵されており、その数は蔵経洞にある文化財の三分の二に当たります……

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