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【二時間目】中国の旅DX・統万城
匈奴最後の都「統万城」を守り続ける馬さんの物語
「西暦407年、ヘレンボボは、匈奴の国王となり、413年、国民10万人を動員して、都・統万城の構築を始めました。6年後、この工事が完成しました。ここにやってきた観光客は、統万城に纏わる物語に興味をもっています。この城は、匈奴人が残した文化遺産で、1600年の歴史があります。私はこの時代の背景や物語を観光客に紹介します」
上の話をしたのは、統万城という遺跡の近くに住んでいる馬俊旺さんです。馬さんは、民間人のガイドです。毎日、ここで観光客を迎えて、先ほどのように統万城を紹介します。
統万城は、白城子とも呼ばれています。陝西省北部の靖辺県にあり、かつて匈奴人が作った国の最後の都で今、残っている唯一の匈奴人の都の遺跡です。大夏国の国王であるヘレンボボの命令で413年から作り始めました。その後、北魏、隋、唐、宋、元とおよそ600年の歳月が経った後、最終的に元の時代に廃墟となりました。今は、残った城壁のごく一部だけが聳え立っています。
この遺跡の西南部の城壁はほぼ完全な形で残っています。その城壁の外壁に、ヤオドンという西北部の住居が9つ掘られています。馬さんはこのヤオドンで生まれ育ったそうです。
「ひいおじいさん、お爺さん、父、私、この4世代がこのヤオドンに住んでいました。今はヤオドンには誰も住んでいません。政府がこの遺跡を保護するために1980年、このヤオドンに住んでいた人は皆、この近くの村に引越しました」
馬さんは1949年生まれで今年64歳です。清王朝の末期、馬さんのひいおじいさんは、村で突然広がった伝染病から逃れるためにここに逃げてきました。そのころここは、だれにも管理されておらず、河も土地もあったためここに住むようになったそうです。
馬さんの話です。「その時は、この城は廃墟だったそうです。だれも管理していませんでした。勝手に城壁に穴を堀って住むようになりました。お金も要らなかったですし。その周囲は、水草が豊富で、羊や牛などを飼うこともできました。ひいおじいさんは、ここに定住するようになったのです」
その後、ますます多くの人がここに集まってきました。馬さんによりますと、新中国ができた初期、ここには200世帯の馬一族がいたそうです。しかし、そのころの住民は、この城が1600年前の大夏国の都とはぜんぜん知りませんでした。1964年、北京大学の候仁之教授がやってきて視察を行ったため、ここの歴史がまわりの住民にも知られるようなりました。1600年前、ヘレンボボ国王は、天下統一、君臨万邦という意味をこめて、この城を統万城と命名しました。それ以降、歴史学者や考古学者などが相次いでやってきたのです。
馬さんの話です。「陝西省の研究機関で最初にやってきたのは、陝西省考古研究院です。その時は、私は20代そこそこで、一日1元か2元という給料で雇われました。私とその他の5、6人は、考古学のチームについて、専用のシャベルで穴などを掘りました。一日に深さ2-3メートルぐらいの穴を10数ヵ所掘りました」
それがきっかけで、馬さんの人生は、統万城と関わるようになりました。馬さんは専門家からその歴史や物語を聞けるようになりました。
馬さんの話です。「私の知識はそんなに多くありませんが、歴史や物語は好きなので専門家が資料などを整理するのを手伝いました。時々資料をもらって、それで勉強します。また、時々専門家から統万城の歴史や物語を聞いて覚えました。こうして、徐々に統万城に対する知識も多くなりました」
1980年代初期、統万城遺跡が国に保護され、もうここに住めなくなった住民はヤオドンから近くの村に引越しました。その時、馬さんはもう30歳を過ぎていました。
この遺跡は、かつて馬さんと幼馴染がよく遊んでいたところです。馬さんはこの遺跡の隅々まで行ったことがあります。ここから引越した後も馬さんは考古学チームに雇われ続けていました。馬さんは、ひいおじいさんからいろいろな物語を聞いていたので、考古学の専門家も、時々馬さんから昔の情報などをききとりました。
これについて、馬さんは、次のように話してくれました。
「私は、ひいおじいさんや周りの人から、いろいろな伝説を聞いて覚えています。専門家もこの伝説や物語に興味を持っています。時々私の話を聞いてくれました。遺跡の中の場所や名称などは、専門家でも分からないことがありましたが、時には私の助言でその謎が解けたこともあるんですよ」
その後、馬さんの統万城への知識はさらに豊富になり、半専門家と言ってもいいくらいになりました。2011年、馬さんは、「統万城遺跡の紹介」という資料を編集しました。30ページに及ぶこの資料は3部構成でできています。第一部は専門家から得た資料。第2部は伝説や物語。第3部は自分がまわりの人から聞いて整理したものだそうです。
馬さんは、いつの間にか統万城を紹介するガイドになっていました。彼のガイドの言葉は殆ど自分が編集した資料からのものです。毎日統万城に来て、お客さんを迎え案内します。ガイド料はお客さんの数によって違いますが大体、一回30元から50元をもらいます。また、その資料も販売しているのでそれで生活を賄うことができるそうです。
「私は年をとっていますが、農村の伝統や歴史、物語を面白く説明できます。連休の時は、お客さんが多くて、一日200元から300元稼げます。普段は一日100元ぐらいですよ」
馬さんがガイドを務めた後、大抵のお客さんは馬さんの資料を買うそうです。馬さんは最初2000冊を印刷しましたが、その全てが売り切れその後、何回も印刷しなおして、これまでに合計で1万冊以上も販売したそうです。値段は一冊2元でしたが、去年から5元に値上げしました。
馬さんは、独特なスタイルで統万城を紹介することから現地では有名人です。また、専門学校の学生や村の若い人に統万城のアプローチの仕方を教えたりしたこともあります。そしてガイドの仕事のほかにもボランティアで統万城を点検したり、遺跡を破壊する恐れのある行為を厳しくチェックしたりしています。
馬さんにとって頭が痛いことは、一部の現地の人や観光客は、遺跡保護への意識が薄く、立ち入り禁止エリアに勝手に入ったり、登ったりして壊してしまうことがあるそうです。時々、このような観光客の行為を止め、統万城を保護する意識をきちんと伝えるそうです。
馬さんは、統万城遺跡で生まれ育ちました。その一生は、この遺跡と関わっています。馬さんにとって統万城遺跡は心の拠り所なのです。そして統万城を紹介しながら守り、愛しているのです。皆さん、もし陝西省に行ったら是非、統万城遺跡に足を運んで馬さんに会いに行ってみてくださいね。きっと統万城遺跡の面白い伝説が聞けますよ。(任春生)
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