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【二時間目】中国の旅DX

2013-05-17 18:13:45     cri    

























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 二時間目は、画家の李陽氏が三蔵法師のインドへの旅を辿ることについてお伝えします。

画家の李陽氏、三蔵法師のインドへの旅を辿る

 貴重な遺跡や石窟に描かれた美しい壁画。そして神秘的な山々と湖。これらの風景は、旅が好きな人々なら皆、大好きでしょう。陝西省の西安に、今年49歳になる画家の李陽さんという人がいます。李さんは唐の時代の有名なお坊さん、三蔵法師がかつてインドへ旅した軌跡を辿り、その道々の自然の風景や遺跡を訪ね、絵画などの芸術の真髄に迫りました。

 今日のこの番組では、画家、李陽さんが辿った三蔵法師の旅の軌跡をご紹介します。

 三蔵法師が旅した軌跡を辿り、最後はインドの有名なお寺、ナーランダーを目指すという、李さんのこの壮大な旅の計画は、2012年8月陝西省西安、大雁塔近くの大慈恩寺から始まりました。全ての計画が達成できるのに5年の歳月が必要です。さて、今回の旅の道のりは、西安から新疆北部の国境線までです。道中、写真を撮ったり、絵を描いたりして、地元の風景や芸術を記録していきました。

 このアイディアはなぜ生まれたのでしょうか。李さんは次のように話してくれました。

 「三蔵法師は、中国の仏教、中国の文化に偉大な業績を残してくれた人物です。彼はインドに行って、仏教の真髄を求めました。同じ旅の足跡を辿ることで、私の精神面にもなんらかの変化が起きることを期待しています」

 李陽さんの旅に、もう一人お供する人がいます。それは写真家の白熊さんです。2人は、旅の指針となる一冊の本を持って旅立ちました。その本は、三蔵法師が旅から戻った後書き上げた「大唐西域記」です。李さんと白さんは、この記録に基づいて、できるだけ、三蔵法師が巡った場所を全て回ろうと決めました。

 さて、李陽さんとはいったいどんな人なのでしょう?なぜこのような大胆な計画を実行したのでしょうか?李さんは、今、西安美術学院という大学の講師をしています。三蔵法師の旅した道を辿ることによって、自身の心、自身の精神をもう一度洗いなおしたいと考えたのです。また、自分の知識をさらに広げて、教学のために芸術の素材を集めることも大事な目的でした。三蔵法師が歩んだ道中には仏教の遺跡が大量に残っています。これらの遺跡には仏教芸術もたくさんあり、芸術的な価値や考古学の価値も非常に高いです。こうしたものは、今後、李さんの創作の泉となるでしょう。三蔵法師が巡った道をもう一度辿り、仏教絵画の真髄を探ることは李さんの念願だったそうです。

 「三蔵法師が訪れた地域は、土地が広くて人が少ないんです。そこにはかつて見たことのない風景がたくさんあり、とても感動しました。5年に渡るこの計画では、『大唐西域記』を基に、三蔵法師が歩んだ道を少しずつ区切って旅していきます。その第1回目は、仏教の石窟や文化的な遺跡を辿る旅でした。絵画は芸術の世界への理解を表現する方法の一つです。絵の中には、画家の生活への思いなどがあります。イメージ、構図、色、技法でこれらのものを描きます」

 李陽さんがこの計画を家族や友達に話したとき、多くの人に反対されました。旅のお供となった写真家の白熊さんですら、最初は李陽さんがただ旅に出たいだけだと思っていたようです。

白さんの話です。

「李陽さんからこの計画を打ち明けられ、一緒に行かないかと誘われたとき、私は迷っていました。まあ、最初は李陽さんの本当の目的を知らなかったんですね。旅行かと思っていましたから。出発する前は、もし途中でたくさんの困難に遭い、その先に進めなければ、先に帰ると李さんと約束しました。当時は自分が最後までできると思っていなかったんです」

 李陽さんが三蔵法師の道を辿ろうと決めたのは、当時の三蔵法師と今の自分の心境になんらかの似た部分があったからのようです。三蔵法師は、まったく知らないインドという地へ1人で、旅に出ました。途中、普通の人なら耐えられないような困難を乗り越え、そして何度も命の危機に晒されましたが、その巨大な精神力に支えられ、自力で目的地のインドにたどり着いたのです。

 さて、李陽さんたちの旅は、そんな苦しいものではありません。車という文明の利器を利用していくのです。しかし、李さんはこの近代的な交通手段以外は、できるだけ昔の方法で、沿線の壁画、仏像をスケッチして、現地の住民、お坊さんとよく話しをし、現地の風景、民俗習慣などを文字や絵の形で記録していくと決めました。

 旅の途中で特に印象深かったことは何かについて、李陽さんは

「旅の途中、炳霊寺というお寺がありました。そこのお坊さんは、三蔵法師がこのお寺に一泊したことがあると教えてくれました。それを聞いて、今自分は三蔵法師とこんなに近いところにいる。三蔵法師と同じ夕日を見て、同じ場所に座っている。三蔵法師もここで私と同じように何かを考えていたのかもしれないという感じがしました。不思議でしょう。三蔵法師は、自分の足だけでここまで来ました。唐の時代、この辺に住む人は今よりもっと少なかったはずです。辛く寂しい道のりでも強い信念を持って、これほどの困難を乗り越えたと思うと、とても敬服します」

 この旅の途中、どんな気持ちだったか李さんに聞いてみました。

「旅にはいろいろな困難がありますが、沢山のことを学べたことが、一番楽しいことだと思います。このルートは西洋と東洋文化がぶつかる場所で、言い換えれば東西文化の集散地でもありますね。また仏教が中国に伝わっていくルーツでもあります。旅の途中、学問があちこちにあり、それを勉強できるのが一番楽しいことですね」

 李さんと白さんは、旅の途中、敦煌の莫高窟と千仏洞を見学したほか、もう人々に忘れさられてしまったところにも足を運びました。例えば、蘭州の西側、劉家峡水力発電所の近くにある炳霊寺石窟などの寺院や石窟です。李陽さんは、旅の途中、壁画や仏像を間近に見学し、そこに触れることによって、当時の三蔵法師の心を少し分かったようです。李さんの書いたノートを読んでみると、今回の旅の感想やどんな心境だったかが分かるでしょう。

 2012年9月、トルファンのハミに行く途中、かつて三蔵法師が通った場所、ゴビ砂漠で、スケッチしながら日暮れを待っていました。その時の心境を李さんはノートに綴っています。

 そして白さんが、当時の様子を話してくれました。

「私と李さんがそこに着いたときは、もう黄昏時でした。辺りはとても静かでした。風の音以外は何も聞こえません。ちょっと怖いなと感じる人もいるかもしれません」

 旅で印象に残った風景について、李さんが語ってくれました。

「全ての風景が素晴らしかったです。ゴビ砂漠では、夕暮れになって人々が一人減り、二人減り、やがて私たち2人だけが残りました。そんな中で、夕日が砂漠に沈むのをながめたことが忘れられません。」

 2012年10月、李さんと白さんは、旅を終え、西安に戻りました。李さんは旅ノートに、こう綴っています。「砂漠地域を2ヵ月回ってから西安に戻る。ちょっと慣れないような気がする。西安市内はどこに行っても交通渋滞、息苦しい。今回は、2ヵ月で1万3000キロを旅した。」

 李さんは西安に戻りましたが、三蔵法師が巡ったインドへの旅を辿る計画はまだまだ続きます。

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