元宵節にランタンが用いられるようになって以来、歴代の中国王朝では元宵節は盛大な年中行事となりました。南北朝時代、梁の簡文帝による元宵節の様子を描写した『列灯詩賦』なども残されています。また隋代になると外国使節の参内を元宵節に定めて、多くのランランを用いた元宵節を見学させることで国力の充実を内外に示しました。
中唐になると更に盛大な行事となりました。唐代にランタンを用いるのは元宵節及び前後一日とされ、漢代から1日とされた元宵節が3日間とされのです。唐朝では都城である長安では夜間の外出が禁じられていたが、元宵節に限ってはこの禁令が解かれ、民衆がランタンを見るために賑わいました。また国力が充実していた時期には王侯貴族が自らの富を表現する場として元宵節が選ばれて、『開元天宝記事』には玄宗により高さ150尺のランタンを、楊貴妃の姉に当たる韓国夫人も「百枝灯樹」なる大規模なランタンを製作したと記録されているとこもあります。
宋代になると元宵節は更に盛大になり、太祖により期間も正月14日から18日の5日間に延長されたそうです。ランタンも唐代のものに比べて精巧且つ豪華なものとなり、辛棄疾の『青玉案・元夕』に当時の元宵節の盛大さが描写されています。宋代の元宵節は朝廷より民衆に酒が下賜されたことで更に多くの人出を見るようになりました。またこの時期よりランタンに謎掛けを行う習慣も登場してきました。
清代になると満洲より氷灯が中原に紹介されて、ランタンの製作に影響を与えたと言われています。
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