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元宵節のご馳走

2012-02-03 18:41:31     cri    

 元宵節には家々で「元宵」と呼ばれる食べものを食べる伝統的風習があります。「元宵」はもち米を練ったものを皮にして中に餡を入れ、円型に包んだものです。一家が団らんして、平和、幸福にすごす意味をあらわしています。この種の「元宵」、またを「湯圓」とも呼びます。

 元宵節に元宵を食べるのに関して、民間では次のような物語が言い伝えられています。

 漢の武帝の時ですが、ある日大雪が降りました。武帝の側近であった東方朔が御園にいって武帝のために梅の枝を折っていると、元宵という名の宮女が井戸に身を投げようとしていたので、それを助けました。もともと正月や祭日になりますと、元宵は親兄弟を思い、それが心を刀で刺すようにつらく、たまらなくなった元宵はいっそのこと死んでしまおうと決心したのです。これを聞いた東方朔は、同情して彼女を家族と会わせる一つの良い方法を考えました。それで元宵に緋色の服を着せ、長安の大通りにいかせて玉帝の聖旨といつわって、こう言わせました。「わらわは火の神なるぞ。聖旨を奉じて長安に火を放ちにまいった。天の玉帝は南天門の上に立たれてこれを見物される」。人々はこれを信じて、慌てて助けを求めました。そこで彼女は「このたびの災いを避けたいと望むならば、この赤い書状を皇帝に渡し、対策を講じさせよ」といって、赤い書状を手渡すと悠々と立ち去っていました。

 こうしてこの赤い書状は皇帝に渡されました。武帝が開いてみると、それにはこう書いてありました。

 長安在刧  長安は刧にあい

 火焚帝闕  火は宮城を焼き払う

 十六天火  十六の天火は

 焔紅宵夜  炎で宵夜を赤く染めん

 これに武帝は驚いて、東方朔にどうしたらよいかとたずねました。東方朔は慌てず騒がずにこう答えました。「伝え聞くところによると、火の神は『湯圓』が大好物だそうです。女官の元宵は『湯圓』をつくるのが上手で美味しいことを、火の神も知っています。十五日の夜に彼女に『湯圓』を作らせ、陛下は香を焚いてそれを供えたらよいでしょう。それから京都の住民たちにも軒並みに『湯圓』をつくらせ、火の神に捧げたならば、火の神も心を動かすでしょう。そして都の臣民がいっせいに灯篭を作り、十六日の夜に大通りから路地に、また家ごとに火を点して飾り、花火をあげ、爆竹を鳴らせば、まるで都中に火の手があがったようで、南天門で見物している玉帝の目をごまかすことができましょう」

 そこで武帝はすぐに東方朔の言葉通りにするように聖旨を下しました。こうして正月の十六日、日が西山に沈むと、長安城内では灯篭を飾り、アーチを建てたので、灯火は一晩中あかあかと輝き、花火がいっせいに打上げられました。元宵の妹も両親といっしょに灯篭見物にやってきました。そして「元宵」という名のついた大きな宮灯を目にした時、大喜びで「元宵姉さん! 元宵姉さん!」と叫びました。その声を耳にした元宵は、両親のところにかけ寄り、一家は一堂に会して、心のたけをうちあけました。それからというもの、毎年、元宵はこの機会に一家と顔をあわせることができるようになったということです。十五日に供える「湯圓」は宮女の元宵の作ったのがいちばん美味しいので、人々はまたの名を「元宵」と呼ぶようになったそうです。

 各地で作る種々の「元宵」は、それぞれ味が異なるでしょうが、一家団らんの象徴であることは何処も同じで、この多くの人々から愛されています。宋の詩人姜白石はかつて「貴客のれんをめくって御街を望めば、市中の珍品いちどきに来たる」と詠じています。詩の中で、「元宵」を「珍品」と称していますが、当時、元宵の値段は相当高かったことがうかがえるのです。現在の元宵にはいろいろな餡があり、砂糖、桂花、さんざし、なつめ、いろいろな木の実、黒ごま、青梅、小豆あん、ココアなどを中味にしており、その上、値段も手頃で、元宵の夜にこれを茹でて食べる風習は祭日に少なからぬ楽しみを添えています。

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