「陶磁器の里」・伊万里の出身。大学時代はギター青年。就職したのは、日本がまぶしく成長していた1980年代半ば。
もともと大手新聞の記者。地方支局での「警察(さつ)回り」から始まり、夜討ち朝駆けの勤務が続いていました。が、1991年に噴火した雲仙・普賢岳の大火砕流災害で、長崎県島原市で5年間も滞在。その後、系列内のテレビ局に転勤。出勤初日から事件が起き、衛星中継車を使っての生放送。いくつかの系列テレビ局で番組プロデューサーを遍歴した際、干潟を一年間追ったドキュメンタリーが「科学放送高柳記念賞」を受賞し、海外で番組販売されています。
東京のテレビキー局で報道の編成デスクを担当。地上波、BS、CSの3つの波で全国にニュースを流しました。そして、再び新聞社本社に戻る。
日本の新聞、テレビの放送現場で豊富な経験を積まれ、ジャーナリスト人生でも一番脂の乗った時期にあります。そんな山下哲弥さんは、この5月から、CRIでの勤務を始めました。
北京西部・玉泉路駅近くのマンションに暮らしており、バス通勤をしている毎日です。東京から北京へ。この間、何が起きたのか?初めて長期滞在が始まった中国での生活、新しくスタートした北京での仕事に膨らませた抱負は?
九州男児の中国就職記に秘められた愛と夢の物語をお聞きください。
日本の新聞やテレビの現場の様子、記者の成長過程にご興味の方はぜひお聞き逃しのないように。あわせて、CRI東京支局特派員だった王穎穎アナも日本での記者体験を語ってくれました。(王小燕)
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